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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩集『龍神』

新しい詩集『龍神』の見本が出来ました(世に出るのはまだ少し先です)。Image511
前回の『新鹿』につづく、紀州・熊野のいわば「フィールドワーク」詩集です。

少し詩的に過ぎることをいえば、
私自身の生の時間が、紀州・熊野の時空によって、触発され、蕩尽されていく
その火花としての、あるいは砕片としての言葉を
詩という煌めく海面あるいは雪原にゆだねたのでした。
表紙の鈴木理策さんの写真はまさに
海面あるいは雪原のあわいに揺らぐ美しい非在を表現しています。
紀州・熊野の、恐らく雪原だと思います(新宮出身の写真家である鈴木理策さんの、紀州・熊野の繊細な写真は本当にすばらしいものばかりです)。

「あとがき」に次のような文章を書きました。

 本作は『新鹿』に続く、紀伊半島を巡り書き継いだ「フィールドワーク詩集」である。今回は、二〇〇八年秋に訪れた高野・龍神地方の龍神から「出発」する(作品の配列と時系列は必ずしも一致しない)。「龍神」は紅葉の日高川沿いを車で北へと辿っている。作品は龍神での途中下車で終わるが、実際は和歌山県の最高峰、護摩壇山の頂上に辿り着いた。そこからどこまでも南に拡がる紀州・熊野の山並みを眺望したが、眩暈のようなその「鳥瞰」の感覚は、その後旅する知覚をずっと刺激していたように思う。
 口熊野(「田辺」)と奥熊野(「玉置山まで」)、そしてその周辺の中辺路(「野中」)、新宮(「お燈まつり」)、那智勝浦(「補陀落」)、熊野市(「波田須」)を巡る中で、人々や自然や歴史と出会いながら、紀州・熊野の細部を私はいわば「虫瞰」していた。野中では宇江敏勝さんに出会い、「山びと」として紀州・熊野の山で生きた半生へ思いを馳せ(「野中(一)」)、那智勝浦の補陀洛山寺では波の音とともに歴史の声を聴き(「補陀落(一)」)、新宮の神倉神社では、旧正月の前日に行われるお燈祭りで、昼の禊ぎから夜の火祭りまで古代の巨岩信仰の雰囲気を感受し(「お燈まつり」)、修験道の終点である玉置山へは、かつて中上健次が訪れた事実を意識しつつ向かった(「玉置山まで(一)(二)(三)」)。旅の終わりとして、二〇〇八年九月二十六日に田辺市、二十七日に熊野市で行った『新鹿』の朗読会では、準備段階も含めて出会った人々の、それぞれの紀州への思いを感じとることができたと思う(「田辺」、「波田須」)。
 本作は、何者かに鳥瞰されながら、紀州・熊野の自然、人々、歴史、宗教を虫瞰したフィールド体験にもとづき、いくつも時空を重ねて生まれた詩的「フィクション」といえる。
 紀伊半島を旅するようになって二年。訪れるたび、私自身の「詩のいのち」が蘇る実感ある。紀州は、詩がいのちに深く関わるという原点を思い出させてくれる。「いのちに関わる」という表現で私がいいたいのは、ほんとうは詩とは、私たちの深みに潜む言語の生命力が、外界の生命力に喚起され立ち現れる炸裂であり、さらに「それを通してすべてが消え去る輝き」(モーリス・ブランショ)であろうとする、ということだ。私たちの内奥で言語はけっして静かな死物ではない。日々みずからの生命力をおしころし、文字や記号のふりをしつつ、輝くいのちとして蘇る機縁をつねにもとめている。後付だが、本作は、私自身の言語の生命と外界の生命とが、呼び呼ばれ交錯し甘美な火花を散らした旅の、私なりの結実である。
 本州の北と南の木々が出会い、木々と共に北と南の鳥と獣と草と昆虫もまた出会う紀伊半島。そのゆたかな光と影、ざわめきと煌めきは、「詩のいのち」をつよく誘ってやまない。この詩集は、多くの人のいのちと、それを育むすべてのいのちによって触発され、生まれた。
 今回も隠国での素晴らしい様々な出会いへと導いてくれた倉田昌紀氏、出版に際し再びお世話になった思潮社編集部の高木真史氏、装幀の倉本修氏、写真の鈴木理策氏、そして彼地で出会ったすべての人々に深く感謝申し上げます。
                                             二〇〇九年十二月二日