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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

賢治祭の夜

未明に安保法案が可決した19日夜、

「賢治祭2015」が

詩人の高橋秀夫さんのお店

「つづきの村」(奈良市学園町)で行われ、

私も講演者として参加しました。

私は『闇より黒い光のうたを―十五人の詩獣たち』で詩獣の一人として、

宮沢賢治を取り上げましたが、

高橋さんはその論に注目して下さり、誘ってくれたのでした。

高橋さんとは6月に小樽の白鳥番屋での朗読会で知り合いました。

「つづきの村」は今回初めて伺いましたが、

とてもステキな、隠れ家のような空間です。

賢治の命日は9月21日ですが、

ちょっと早めの「偲ぶ会」でした。

お店の前で夜空を見上げると月が美しく、

まさに賢治の世界をほうふつさせました。

何を語ろうか迷っていましたが、

国会前の闇がずっと胸にわだかまっていて、

そこから語るしかありませんでした。

あるいは国会前にいた時にも

この日の講演について心のどこかで考えていて、

「もし賢治が今この時代を生きていたら、ここに来るだろうか」

という自問自答をしていました。

そして何となく答えが見えてきたところでした。

「つづきの村」の柔らかな光に包まれながら

少人数の方々の前で語ったことは

アドリブでかなり話が込み入ってしまいましたが

かいつまめば次のようでした。

賢治の魂を圧していた闇は、今の私たちには測り知れない深さと重さだった。

その闇にあらがう方途として、賢治は政治ではなく宗教を選んだ。

賢治の「非政治性」は治安維持法下でさらに濃くなっていく。

それは唯一の友保阪嘉内への恋文にも似た手紙から読み取ることができる。

(菅原千恵子『宮沢賢治の青春』を参照しつつ)

左傾化する嘉内を引き留めようとして、むしろ宗教へのめり込んでいった賢治。

そして別れが訪れ、その痛みが賢治の詩性を、闇を輝かせていく―

そんなことを語りました。

そしてひととおり語り終えたあと、

「国会前に来ているだろうか」と自問し、

「来ているだろう」と答えることで、結末としました。

かなり乱暴な想像ですが、

一人ひっそりデクノボーとして植え込みの陰から

嘉内の生まれ変わりのような人々を

奇跡のように見つめているのではないかと。

その内面までは想像が及びませんが、

詩人は今最も闇の深いあの国会前のどこかに佇んでいる気が、私にはするのです。

賢治祭は他に

中村ともみさんの星めぐりの歌の美しいピアノ弾き語り、

「よたかの星」の圧倒的な朗読シアター

(高橋さんとでみせあつこさんによる朗読と、インド打楽器と

飯田あやさんのよたかの舞いと、書家さんの即興の書のコラボ)

と素晴らしい時間が繰り広げられ、夜は更けていきました。

高橋さんはフェイスブックでこの夜の記事に、

「僕たちには自由な夜がある。

必ずや。」

という言葉を添えていましたが、

「自由」とは、ともに創りだしひととき共有するものなのだ、と

この夜はたしかに教えてくれました。

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