水野直樹さんの『創氏改名』(岩波新書)はスリリングです。
歴史資料を駆使した大変な労作です。
創氏改名とは一般に
1940年、植民地時代に、朝鮮人を完全に支配するために、
朝鮮人の名前を日本人風の名前に変えさせた政策と理解されています。
しかし、よく歴史的な事実を見てみると、じつはそんな単純で甘いものではなかった。
もっと巧妙で複雑な思惑や仕組みのものなのでした。
日本は決して朝鮮人を完全に日本人として同化しようとは考えておらず、
氏名に巧妙な「差異化」を残す仕組みを考えついた。
差別的な立場から創氏改名に反対する勢力も根強かった。
朝鮮総督府側に対する内地側の政治的な対立意識もそこには働いていたのです。
1940年に留学のために尹東柱も「平沼東柱」と創氏しています。
しかし改名はしていません。
「総督府は、創氏を実施しながらも、改名についてはそれを促進する措置をほとんどとらなかった」のです。
「姓に比べて名においては日本人と朝鮮人の境界線が曖昧」だったのですが、「内地人に紛らわしい名」を付けさせないようにしていた。
名で両者をなるべく区別できるようにしたわけです。
東柱の場合もそうした事情が関わっていたはずです。
もちろん姓の方も、日本人らしいものは付けさせないようにしていました。また事実として強制でしたが、自発的な形を取らせるように巧妙に仕組みました。
歴史にうとい私はここで提示された歴史資料にもとづく事実関係を
きちんと整理できませんが(どんどん忘れますが)、
しかし私なりに理解しても、「創氏改名」とはとても怖ろしい歴史的な罠だったのだと思いました。
しかし、今も朝鮮人が、根強い差別のために使っている通名(日本名)も、この創氏改名の残した傷跡であると水野さんは書いています。創氏改名はけっして過去の問題ではないのです。
傷跡。爪跡。
歴史をふりかえれば、私たちのこの現在にいまだ爪を立てている猛禽の正体が分かります。そこから、未来へ向かおうとするけなげな鳩たちを、解き放たなくてはならないと思います。
ところで逆創氏改名?ですが、
私の名「河津聖恵」の「津」を落とすと、
「河聖恵」。
これは朝鮮人の名前になるそうです。
読み方は「ハ・ソンエ」。
彼女に会ってみたい思います。どこにいるのでしょうか。