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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

今年でもう/まだ10年

和解という言葉が、新年早々心に浮かびました。

年初にNHKの特集番組をみました。
(といっても、かたわらの姑に何やらさかんに話しかけられ、
詳細は聞き逃しましたが)
ニューヨークの世界貿易センタービル跡地『グラウンド・ゼロ』近くに
モスクを建てる計画に反対する人々と
苦悩するアメリカのイスラムを追ったドキュメンタリー。

10年という歳月の流れにもかかわらず
イスラムに対する偏見や敵意はますます広がっているという事実。
9.11で亡くなった被害者であるイスラムの男子学生の母親の悲しみの表情が
痛々しかった。
息子の名前は式典で読みあげられず、大学の記念碑からも排除されている、と。

モスク反対派の中心人物である女性は決然と
「アメリカに原因があると考えるなんてナンセンス!」
と言い切っていました。
「モスクの建設する自由はある、しかし跡地を見おろすとは、思いやりがなさすぎる」
一見、理にかなっている気もしますが、
モスクを建てる団体はテロとは無関係です。
イスラムの教えが原因で悲劇が起こったのではないのに
そう決めつけているわけです。

そうした「確信」の背景にあるのは
愛国主義」です。
正確には「愛国主義」と信じ込ませられたナショナリズム
歴史学者のジョン・ダワーが番組の中でこう言っていました。
「アメリカで言ってはいけない言葉がある。
『アメリカのナショナリズム』という言葉である。
『アメリカの愛国主義』と言わなくてはならない。
私的なスポーツの試合にも国旗が掲げられるにもかかわらず
ナショナリズムが存在すると決して言ってはならないのである」
言葉のトリックというには根が深すぎる「否認」です。

ニューヨークで多文化共生を目指す高校の生徒達が
最後に座談会をしましたが
最後にイスラムの女子生徒が本当に不安そうに語っていた。
「私たちの子供たちの世代はどうなってしまうのでしょうか」
アメリカのイスラムの苦悩は、在日コリアンのそれと
今やだぶっても見えます。

それで、和解とについて考え始めました。
しかし和解という事実についてではなく、まず言葉について考える必要があるようです。
和解なんて簡単で脳天気な言葉のようだけれど
人間にとって双方が対立や怒りから心底解き放たれる和解など、至難のわざであるはず。
またきちんと考えて書いてみたいテーマです。