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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

日々が詩に生まれていた

思ってもいなかったことが、一冊の詩集になりました。遠い日にそれは始っていたのかもしれません。日々が詩に生まれていたのでしょう。忘れられずに、こころに澱んでいたことばをすくいあげて文字にしていくと、わだかまっていたものがほどけていくようでした。

「日々が詩に生まれていた」。
なんどうさんのあとがきのその言葉は
心をつよく打ちました。

詩が日々に生まれていた、のではなく
日々が詩に生まれていた。

それは空が詩に生まれていた、ともいえるし
鳥が詩に生まれていた、ということでもあるでしょうか。
鳥が空へ飛び立つ意志も
空が鳥を受け入れる優しさも
すでに詩に生まれていた。
詩がはらみ、生みだしたものであった。
そういうことでしょうか。
そしてなんどうさんの場合、
詩はまず書かれないものとしてあった。

もちろん現象的には詩が日々に生まれるのです。
日々に詩が書かれる。
けれどあるとき
日々が詩に生まれるという、そのような逆転をかんじさせる詩の存在に
私たちは気づくのではないでしょうか。
それは書かれていてもいなくても。

日々の言葉を包むほどのもの
日々をさえはらむもの
何か、空のように大きな言葉に。

沈黙の予言のような、夢のような、希望のような。
あるいは人の生命の意志のようなもの。

それは少しこわい何かだけれど
孤独の奥底からあらわれ、うたわれる詩は
その人を超えた何者かの声にちがいない。

詩の声にみちびかれて日々が生まれる。
鳥が気流に身をゆだねるように
少し戦きながらも、甘美に、そして不思議な勇気がうまれる。

なんどうさんの「鳥�U」冒頭部分──

鳥はあけがたに
魂という
卵をひとつ産むのです
魂にこめられたおもいでは
あたためられてやがてそのことを
待つ人のところへかえりつく

澄んだ空の裂け目から唐突に
影となり
形を
力を
疑いを
迷いを

空がみすてたからでなく
ひとつの決意として
鳥はつばさをおりたたみ
魂となって
地上をめぐる