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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

京都新聞連載「原発と国家」第二部

京都新聞の朝刊で始まった連載「原発と国家」第二部が面白いです。Image1432

昨日は「過疎ゆえの誘致推進」。
福島県双葉郡大熊町双葉町)への原発誘致の頃の話。

原子力委員会が作成した立地条件は、
�@一定距離の範囲が非居住地域。
�A非居住区域の外側は低人口地帯。
�B敷地は人口密集地から一定距離だけ離れている。
だったそうです。

福島第一原発のために選ばれた土地は、
「第二次大戦中、特攻隊の訓練基地だった」という事実。
驚きました。

たしかにあの断崖絶壁は飛行機の訓練にぴったりです。
また、特攻隊の基地だったからこそ、秘密保持のために人は住むことが出来なかったのでしょう。
(そういえば、昨年の春訪れた毒ガス島である広島の大久野島も、戦時中は地図から消されていました)

当時を知る地元の人は
「太陽光をまばゆく反射する米軍戦闘機が連日、飛行場を攻撃する光景を覚えている」
そうです。
「熱い薬きょうが雨のように降り注いだ」のを見たのです。

「戦後、住民は太平洋の海水で天日式の製塩業を始めた。周辺の約100万平方メートルを買収した国土計画産業(現コクド)も製塩に乗り出す」。

だが「薪として使った阿武隈高地の木材が少なくなり、行き詰まった。製塩方式の発達もあり、国土計画もやがて衰退した」。

戦後、開拓民として関東から大熊町にやってきた男性は
陸稲、菜種油、大豆などを作ったが「収入にならなかった」。

やがて大熊町では男性の三分の一が出稼ぎに出るようになりました。

東電は1963年8月、大熊町国鉄大野駅前に「福島調査所」の仮事務所を設置、建設に向けた足掛かりとした。仮宿舎に寝泊まりした約30人の社員は地質、気象、地震調査のほか、町に反対運動が起きる素地がないかどうかも調べていた」

当時の少女は語ります。
「小学生のころ、社員に海やいわき市のレジャー施設『常磐ハワイアンセンター』に連れて行ってもらった。『中学の入学祝いに万年筆を10本もらい、同級生に自慢した』。姉は東電に就職、社員と結婚する。町は東電との『共存共栄』へ一歩踏み出そうとしていた」

福島第一原発の敷地である元特攻隊の基地を
「磐城飛行場跡地」とも呼ぶそうです。
そのことを刻んだ記念碑も彼地には残されているそうです(記事には上の写真が掲載されています)。

原発が元特攻隊の基地だったり、
原発誘致に至るまでの歴史には製塩業の衰退や、
その原因として林業の衰退もあったというのは
驚きでもあり
この国の歴史の秘密のつながりを覗きみた気もしました。

そう、今回の原発問題は、戦前からの歴史と多様に関係しているのです。
あの断崖に立つ壊れた原発
この国に生きる一人一人の過去や歴史と
どこかで深く結びついているのです
原発事故までの歴史を重層的に知ることは
原発という存在と問題を全体的に考えるために必要なことのはずです。