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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

金時鐘『失くした季節』(一)

金時鐘『失くした季節』(藤原書店)は本当に素晴らしい詩集でImage502
詩で唸らせられるという体験を久しぶりしました。

このブログでも詩と政治という話題が続いていましたが、
こうしたすぐれた詩集をまえにするともやもやした気分はふっとんでくれました。
社会や歴史という厳然たる存在は
言葉をスリリングに蘇らせるのだということをただ突きつけられます。
詩が社会問題へと魂の領域から対峙しようとすることが
いかに言葉を魅惑的に尖らせていくか。
魂と言葉とをどんな深みで擦り合わせていくのか。
この詩集ではそうした本質的な次元がまぎれもなく実現されています。

私はこの詩集の素晴らしさに拍子抜けするほど安堵するとともに
金時鐘さんが長い歳月をかけみずからの生と詩に対し、抱きつづけた覚悟をも感じています。今詩を書く自分がいくらかでもそうした覚悟を持ちうるか、おぼつかなくさせられもして。
しかしおぼつかなくさせられるというそのことこそ新鮮な詩的体験であり、
そのように詩集と鼓動するように対話し交感できたのも希有なことでした。

どの作品もいいですが「四月よ、遠い日よ。」は渾身の一作。
時鐘氏にとって残酷な月である四月(済州島四・三事件)の「赤」に魂を染めるかのように書かれています。冒頭から三連を引用します。

ぼくの春はいつも赤く
花はその中で染まって咲く。

蝶のこない雌蘂に熊ん蜂が飛び
羽音をたてて四月が紅疫のように萌えている。
木の果てるのを待ちかねてもいるのか
鴉が一羽
ふた股の枝先で身じろぎもしない。

そこでそのまま
木の瘤にでもなっただろう。
世紀はとうに移ったというのに
目をつぶらねば見えてもこない鳥が
記憶を今もってついばんで生きている。

永久に別の名に成り変わった君と
山手の追分を左右に吹かれていってから
四月は夜明けの烽火となって噴き上がった。
踏みしだいたつつじの向こうで村が燃え
風にあおられて
軍警トラックの土煙りが舞っていた。
綾なす緑の栴檀の根方で
後ろ手の君が顔をひしゃげてくずおれていた日も
土埃は白っぽく杏の花あいで立っていた。

淡々とした描写であるようでいて、歴史的な出来事がまざまざと鮮やかに視えてくるようです。「後ろ手の君が顔をひしゃげてくずおれていた」というのは、時鐘氏が目撃した誰かの姿であるのでしょう。不思議なことにその小さな影がくずおれる一瞬が、今このときのように私の胸に人の重みをかけ、心の底は土埃をあげるのです。