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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2月21日京都新聞朝刊「詩歌の本棚」新刊評

「詩歌の本棚」新刊評(2月21日京都新聞朝刊) 河津聖恵  

 私たちは今、他者や自分自身や社会とどのように関係しているのか。「関係」は日常に浸かったままでは曖昧で掴みどころがない。他者だけでなく自分さえ見失うこともある。だが詩は、私たちを苦しめつつ根底で支え、日々忘却と沈黙に埋もれていく「関係」を、比喩やイメージの力で新たに築き直すことが出来るのではないか。「関係の病」を昇華させ、治癒さえするのではないか。
  なんどう照子『夜の洪水』(ドット・ウィザード)は、母と子と社会(または世界)との間に張り巡らされる「関係」を、詩の次元へ救い上げることに成功している。母と子を繋ぐ体温、あるいは時に鋭く向け合う感情の刃、不意に社会から浴びせられる冷たさ(それもまた傷を負った他者の涙だ)、そしてすべての関係を未知の物語としてまなざす宇宙──。作者は日常の光景を寓意として、もつれた「関係」を解き放っていく。例えば風呂の水が漏れ、子供たちが床下の住人から叱られた夜を「洪水の夜」と名ざすことで、生命の始まりへさえ遡っていく。
「お母さん/下のおっちゃんがおこってきてん/風呂の水とめるの忘れててん/仕事中に電話してごめん/その夜はなんか 寝られへんかった//水がひいた洪水の夜/親子は寝床の中で/さらさら さらさら/地下の水脈に耳をすませながら/水に流れていく/水はしずかに昂ぶっている//時間をさかのぼり/生のはじまりを/辿るように/しだいに眠る//夜の川の底/水に//なる//まで」(「夜の洪水」)
 季村敏夫『ノミトビヒヨシマルの独言』(書肆山田)は、父と息子という「関係」を、祖先と子孫への思いを軸に、大きな時空の中で築き直していく。父と息子とは絶対的に結ばれながらも、つねに戦い合う関係なのだ。「父なるものとの闘い、父なるものによる救済、これらは/歌いつがれた重ね書きとして放たれる。」(「聖家族」)また子が父を過去へと追って行けば、必然的に父たちが生きた未知の過去が現れる。作者は想像力を駆使し、死者の息遣い、遙かな風のそよぎまで、自分の知覚そのものとして蘇らせる。例えば「死後硬直した」リュックサックの中の小石を想像の基点にして。
「商社に勤めていた父の赴任先は満州国だった。リュックサックのなかの小石は、螢石の原石で、父は国境沿いにある鉱山との折衝係を担当していた。その頃、白い風をまとい、リラの梢をゆすって木戸をくぐる女がいた。中庭は、一瞬匂ったはずだが、すぐに静まりかえり、その後どのように忘れられたのか。変色した図鑑の切れ端のなかで、リラの記述は干乾びている。」(「薄明」)
 Yukko『欠けたビーナス』(編集工房ノア)の作者は、乳癌で乳房を喪失した。奥付に第一詩集とあるが、詩を書くことで大きな喪失を乗り越えたのだ。作者に、詩を書く「もう一人の自分」が生まれ、悲しむ自分との間にたしかな「関係」を築きえた時、悲しみは光へ向かい始めたに違いない。「欠けたヴィーナス」という鮮やかなイメージを獲得して、闇に蘇生の未来が輝き出したのだ。
「二つの乳房は残してください/代わりに二つ、他のものを差し上げます/彼女は そう言ったに違いない/そして 彼女は両腕を失ったけれど/(中略)/だが彼女の腕が存在し/代わりに乳房がなかったとしたら/彼女はヴィーナスと呼ばれただろうか/(中略)/光が 流れる/欠けたものがあるから/(光の粒がはじける)/輝くものがある」(「欠けたヴィーナス」)