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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

11月23日「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」の結成大会に参加しました。

昨日、Sato2
京都朝鮮中高級学校にて
朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」の結成大会がありました。
私も参加しました。

6年間続いてきた「朝鮮学校を支える会・京滋」から
あらたな会が立ちあがったのです。
趣意、運営、人事体制、運営方針を刷新し
より多くの人々に理解を深めてもらい、支援の輪を広げていこうと
熱い思いをこめての再スタートです。

私は「支える会」には入っていませんでしたがHakkyo_kotei
この「めざす会」には本日入会しました。
これからどれだけ関われるかは分かりませんが
今日の議論をきいても
この会には大変触発されるものがある予感がしています。
新しい理解者をどうふやしていくか。
新しい人々がどう朝鮮学校と向き合っていくか。
不穏な排外主義の動きとどのように対峙していくか。
結局はナショナルなものであることを免れない歴史教育というものを
朝鮮学校ではどう止揚していくか(もちろん日本の学校でも同様にナショナルなものへの気づきTsubaki止揚は当然必要だとして)。

すでに朝鮮学校は大きな変化の波にさらされています。
少子化の影響だけではありません。
これからは3世4世の家庭となっていき
日本国籍の生徒もふえている中で
朝鮮人としてのアイデンティティと人間としての尊厳を守るために
ことばや文化や歴史を伝え続けていくことがしだいに困難になってきています。

一方で高校無償化からの除外や助成金の打ち切りも追い打ちをかけています。
大変な危機感を関係者の誰しもが抱いているでしょう。

けれどある方が、朝鮮学校が存続し発展できる基盤を創ることは
日本市民全員の課題であるおっしゃっていました。
私もそう思います。
義務とか責任とかではないのです。
「課題」なのです。
言い換えればそれは、
日本社会にとっての朝鮮学校という存在が持つ意味と
朝鮮学校にとっての日本社会という存在が持つ意味を
双方向的に、多次元的に、つねに変動する現在のダイナミズムのただなかで
日本人もまた考え続け、感じ尽くしていく、ということではないでしょうか。
(そのための思考と感性の場は「日本国家」ではなく、
あくまでも「日本社会」、つまり一人一人の個人が生活する現場です。)

ところで大会の後は、おまちかねの大交流会でした。
大道芸の世界チャンピオンである金昌幸さんが見せてくれた
きわどすぎるアクロバット・パフォーマンスは素晴らしかった。
その技巧と迫力に心奪われつつ
焼き肉をほうばりおしゃべりをしながら
楽しいひとときを過ごしました。

一番下の写真は学校の玄関の近くに咲いていた美しい椿。
一輪だけ何だか不思議にきりっと咲いていました。
ふと
まだ行ったことのない自分の故郷の済州島にも
椿がたくさん咲いているのよと
紀州の花ノ窟神社の椿を見上げながら在日コリアンの友人が呟いたことを
思い出しながら赤い花を見つめていました。

この京都朝鮮学校もまた
みえない遙かな潮に包まれ、護られているのではないでしょうか。