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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

校了のご報告(+「多数派当てゲーム」)

アンソロジーの編集・校正のすべてが
本日やっと終わりました。
校了までゆるぎない使命感で全力を尽くしてくれたOさん、
本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。

これでようやく印刷に入ります。
発行日は8月1日、仕上がりの予定は6日。

このアンソロジーは、詩人・歌人俳人(最後、俳人が一人すべりこんでくれました)が
朝鮮学校の除外および在日コリアンの問題、言語の暴力の問題、差別の問題に
おそらくこのくにの歌の歴史上、初めて向き合った一集となるでしょう。
それぞれの言葉の力で
これらの問題を多角的に多次元的に
思考し、解き明かし、つきつけるものとなっています。
日本の「うたびと」の新境地、そして「うた」の新局面として
ぜひ手にとってみて下さい。

それから昨日、ある論説を新聞で読みました。
ふとジャック・ラカンという名前が目を惹きました。
香山リカ「多数派ゲーム もうやめよう」(朝日新聞7月29日朝刊)。

「社会的に生きることは多数派当てのゲームなのだ、ということを精神分析の立場から明らかにしようとしたのは、フランスのジャック・ラカンだ。ところがいま、その��多数派当てゲーム�≠ェしにくい状況になっている。そんな中で当然、「いつ自分が少数派に転じるか」と人びとの不安も高まっていく」

「大切なのは、中途半端なところで判断を保留にし、世間の多数派につこうとせずに、時間をかけて逡巡し続けることだ。そのためには、「答えを決められないうちに少数派になってしまうかも」と不安からパニック状態に陥らないようにしなくてはならない。不安は、外からやって来るものではなくて、自分の心の中から生まれている。「即断即決しなくていいんだよ」と自分に声をかけて、とりあえずは落ち着いてみる。答えを出すのは、それからなのではないか」

惹かれども惹かれども
ラカンは私にはとても難しい学者です。
ただ断片的に「欲望は他者の欲望である」という名言は
とても鋭いなあと思った記憶があります。
ここでも紹介された「社会的に生きることは多数派当てのゲームなのだ」も
とてもうまいことをいうなあ、と思いました。

ここで香山さんがいうように、
今は何が誰が多数派なのかは誰にもわからない。
「欲望は他者の欲望である」からすれば
他者の欲望が分からなくなっているということもできるでしょうか。

もう十分生きた大人である私には
様々な多数派という幻想をくぐりぬけた果てに
いわば最後の砦としてのこされた自分だけがある、
自分という逃れようもない少数派だけがのこされている、
と思うことができます。
ここにじっくり腰をすえるか、という根拠地を
いつしか獲得したように思えるのです。

でも若い人はたしかにちがうのでしょう。
つねに自分の中から
追い立てられているのではないでしょうか。
霧のような世界でどこかからきこえる
意味不明の他者たちのざわめきのほうへ。