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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

アリエッティ考

昨日みたアリエッティの映画の
小さな人々のけなげな姿がどうして心に残ったのかを
考えています。

心の襞をこまやかに描くストーリー展開
キャラクターの可愛らしさ
微視的な背景画の素晴らしさもあいまって
私の魂の深くにある
森のようなものがざわめかせられた気がします。

「目にみえないもの」が私にもあるのではないか?
それらの存在は、ただ私たちがみようとしないから
みえなくなっているだけで
あるいはあのアリエッティたちを捕まえようとしたハルさんのように
みつけて暴いてやろう、としているから
隠れているだけなのではないか?
などと思いはめぐっていきます。

今日、ある人と会って話していたときに、ふと
「他者への不信や憎悪にみちている人々と、話し合うにはどうしたらいいか」
というような話になりました。
そのときは
そうした人々はじつはあまりにも孤独なのだ、
という答え方をしたのですが。

しかし「借りぐらしのアリエッティ」的?に
さらに思いを馳せれば
そうした人々が不信や憎悪にとらわれているのは
じつは「目にみえないもの」が
かれらから逃げてしまっているからではないか、
とも思うのです。

私たちは「目にみえないもの」の存在をどこかで感じ
「目にみえないもの」と共に生きているという実感を持つことで
他者とつながり
他者を信じることができるのではないでしょうか。

もしかしたら、あるとき
私たちの心が鏡のように澄明になったときに
アリエッティたちは
私たちの内面を、あるいは外部をさえ
天使のようにふいによぎっていくのではないか?
その時、この世の不信や憎悪はしずまり、
私たちはじつは自分たちが森のようにゆたかな世界にいると
初めて実感できるのではないか・・・

宗教とまではいかない
けれどたんなるおとぎ話にもとどまらない
アリエッティたち。
「目にみえるもの」と「目にみえないもの」
そして自己と他者の中間地帯を行き来している存在。
そんな者たちがいつもこちらを窺っているのだ
と思うことができるならば
何かが決定的に変わってくるでしょう。
なんとはなしに辺りを見回しながら
そんな風に思ったりするのです。