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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

追悼・大野新さん

 詩人の大野新さんが、4日に亡くなりました。滋賀に住まわれていましたが、京都にもゆかImage495 りの深い方です。けさの京都新聞文化欄に京都のエッセイスト河野仁昭さんの追悼文が掲載されていました。写真は若かりし頃のりりしい大野さん。
 また今朝、本棚にやや埃をかぶっていた、第28回H氏賞を受賞した『家』をふたたび手にしてみました。これは、私が大学時代に詩をあらためて現代詩として書きはじめた時に、初めて購入した詩集ではなかったでしょうか。たぶん、京大正門前のナカニシヤ書店で装幀の気迫に思わず手に取ったものだったはず。装幀画の、ペン画(だと思います)の人体解剖図がその当時大変生々しく思えました。80年代半ば頃、ある会合で最初で最後にお会いしたとき、「内容はすばらしいですが、この装幀は気分が悪Image494 くなります」と若気の至りで失礼なことを申し上げたら、「そりゃあそうだよ、あの装幀が好きな人はいないよ」と優しくいなして下さったのを覚えています。
 以後私はしばらくこの詩集に惹きつけられては遠ざかり、遠ざかってはふたたび惹きつけられました。私にとっては不思議な重力を持った詩集でした。
 二十年ぶり位で詩集を再読してみて、驚きました。私はここにある作品のすべての言葉を殆ど覚えていたのです。かつて私の無意識がくすぐられて立ち上がってきた、暗くも不可解で魅惑的な気配とイメージと共に。この詩集は今も当時と同じように生々しく身じろぎし、変わらぬ鮮やかさで私の脳を刺激し活性化してくれます。

境(全文)

不安なたかぶりでまぶたがひくひく
する叫喚の境をくぐると
終夜灯につづく
ぼんやりとしたあけがた

猫をすてつづけるヒューマンな隣人と
猫をひろいつづけるヒューマンな隣人との
あわいに住み
隣国の
拷問される詩人のニュースを聞く朝も
砂地の庭の
糞尿を始末する朝だが
なんとも永遠につづきそうな朝だが

家ざかいの
ギザギザガラスの植わった塀のうえでは
〈空腹の眼が顔中を走っている〉斑猫が
八方に腹皮を裂きながらとんで
折尺のように墜ちたが
それは
まぼろし!
まぼろし!
                        *〈空腹の眼が・・・・・・〉天野忠
 
この詩集に関して河野氏は、「詩誌創刊当初の大野さんは、主情や直喩を避けて、感覚や形象そして暗喩によって内面を表出しようとした。その達成が、第28回H氏賞受賞作『家』(1978年)である」と言っています。この作品で直喩は第三連最後から四行目の「折尺のように」だけですが、じつは私は、この箇所を詩の核のように大変鮮明に記憶していたのです。現実と暗喩の、あるいは生と死のあわいで展開される詩的世界が、ここできらっと漆黒のいのちを煌めかせる、というように。考え尽くされた位置の直喩とは、詩のうごきや生命を司る心臓部ともいえるのではないでしょうか。
大野さんについては、またあらためてじっくり書きたいです。