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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2013年9月16日京都新聞新刊評・詩歌の本棚

2013年9月16日京都新聞新刊評・詩歌の本棚

                                          河津聖恵                                                                            

 「真に体験の名に値する体験とは、外側の体験をはるかに遠ざかった時点で、初めてその内的な問い直しとして始まると私は考えている。したがって私に、本当の意味でのシベリヤ体験がはじまるのは、帰国したのちのことである」。戦後約八年間シベリヤ抑留を強いられ、一九五三年に帰国した詩人石原吉郎のこの言葉は、詩と体験(時間)の関係について大きな示唆を含んでいる。苛酷な期間を「事実上の失語状態」で生きのびた石原は、帰国後詩と散文を書くことで初めて極限体験と向き合う。帰国後十五年経って書き出した散文は、抑留の日々を再び生きるという苦痛を強いたが、一方帰国直後から書き出した詩では、表現したくない現実は隠し通し、地獄の光景をリズムとイメージによって見事に昇華させた。つまり詩とはたしかに体験を隠蔽しつつ、同時に言葉の美しさによって体験を照らし出し、時間を救済する行為でもあるのだ。

 水島英己『小さなものの眠り』(思潮社)は、飛躍力のある粘り強い独白体によって、虫達の眠りを覚まさせず川べりをそっと歩むように「小さな生」の時間を照らし出す。詩集全体が、生と死の出会う「果て」の光に照り返されていく。時に至福のような柔らかな陰翳に満たされて。

「六月の庭/美しい色が生まれ、誓う声が響き、それらが一緒になり、……//ここまで歩いてきた、ここまでの時や歌の谷間の道が/二人の六月の庭にたどり着いたのだ//そして、光をあつめて新たな道へ、六月の庭は開かれる//ゆったりと深い息で/いつまでも見つめ、いつまでも語り、……//速さとおそさ、甘さとすっぱさ、まぶしさと暗さ/すべてはまだらに織りなされている、とホプキンズは言う/そのまだらの美しさを味わう日々、二人というまだらに織られる歓び」(「六月の庭―潮と郁に」)  

 さらにこの詩集の歩みは、島尾敏雄八木重吉堀辰雄の「場所」へも進められる。死者の止まった時間の気配を、乱さぬよう慈しむよう感受しながら。

「やはり入江だった、島々の襞の/〈深く奥へ切れこんだ入り江〉は死の匂いがした。/追いつめられた生の痕跡が//穿たれた穴のなかに格納された自殺艇(スーサイド・ボート)として/六十七年目の夏の草いきれのなか/今年も封印された出発の瞬間を夢見ている。」(「二〇一二・夏・加計呂麻―島尾敏雄の場所へ」)

 三田村正彦『父の時間』(土曜美術社出版販売)は、「父が不治の難病により身体の自由を奪われてからの九年間」という「最も濃密な時間」を、詩の幻想の光によって照らし出す。やがて死者の庇護者として、生者である自分自身が未知の光へ向かう姿をも。

「父の居た瀑布の時間は過ぎ去ったのだ/のっぺらぼうの炎昼を残して//死者に成り切るまで路地を歩き続ける/背後のゆうやみに 生まれる前の僕が/父を背負って 霧雨の中を光に向かう」(「夜のジョガー」)  

 呉屋比呂志『ミルク給食の時間に』(詩人の魂社)は「沖縄詩集」。一九五九年に起きた米軍機墜落事件で殺された子供達の末期の時間を、「嘆きと怒りと無念」によって照らし出した。

「でも先生は/そんなになったぼくを抱きしめて/二つのに割れた魂を重ね合わせようと/ぼくの名を叫びながら/ぼくを呼び戻そうと/懸命に叫んでいましたね//ジェット機が墜ちてきたなんて知りません/戦争が来たのです/天が落ちてきたのです/なにか火の固まりがものすごいいきおいで/真っ赤になって墜ちてきたのです」(「先生 ありがとう」)