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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

物語の言葉vs記号のつらなり

昨日の報道から受けた衝撃は
本当にいやな感じのものでした。

無償化適用の方針を固めた文科省と政府を信じ
毎日のように励ましのメールを送り
デモもし、資料を読み、おびただしい手紙とメールを友人知人に送り──

除外反対の活動をつづけてきた人々はみな
文科省が発する言葉を信じてきたのです。

「高校無償化は教育の問題であり、外交上の配慮は含めない。」
外国人学校の適用に際しては、教育内容は問わない。」

公式見解にある言葉はとうとく、かけがえがなく、輝いている。
それらの言葉の一語一語が
生徒一人一人の教育権と人権のために
大人の責任を持って発せられたものであるはずです。
外部の要因からは決して動かしてはならない。
子供とこの国の未来を社会全体で支援するという
高校無償化という理念は、理念なのですから気高く侵しがたいのです。
そして上に立つ者が理念を理念として心を固めることが、
今の不安定な社会全体にとっていかに大切か、分からないのでしょうか。
自分さえ良ければいい、理念なんてあるわけないじゃないか、というそぶりを
大人が子供に示してしまったら
社会はおしまい。しかしおしまいにしてしまってはもちろんダメです。

「砲撃は我が国を含む北東アジア地域全体の平和と安全を損なうもの」
「政府を挙げて情報収集に努めるとともに、不測の事態に備え、万全の態勢を整えるため」

これらは意味不明の記号の連なりでしかありません。

それに対し高校無償化法案は、
この国にもしかしたら初めて人格としての物語(マイケル・サンデル)を創り出しうる言葉だったのかもしれないのです。

そして今が、生徒の教育権を犠牲にするほど、日本人の生存権が脅かされる緊急事態ならば、韓国と北朝鮮へ直接対話しに行き、命をかけて和解させる位は出来るはずですが、そんな気配は毛頭ないですね。