最初140字で何が言えるとあなどっていたツイッター。
しかし先ほど自分の呟きの数が300を超えたことに気づき、
ちょっと驚きました。
開始してから一ヶ月足らずですが、随分鳴いてきたものです。
先ほども、ひとつ投げこみました。
「かくてわたしは舌もつれしながら抒情するのだ──働きます」。こんな一行を日記にすっと残した中也が好きだ。 舌もつれと抒情。いまその二つが、この世界にはとても足りない。うつくしい雨のように。
引用は1927年4月4日の日記から。
しかしわれながら奇妙なツイートです。
中也を引用してとりたてて何が言いたかったわけでもないのです。
舌もつれと抒情という掛け合わせの火花をちょっと放ってみたくなったのです。
別に特定の誰に向かって放ったわけでもないのでした。
この何がというわけでもなく、誰にというのでもない
というのがツイッターというコミュニケーションのあり方の
不思議な特性です。
他者との曖昧な距離は霧のようで
また霧のようだからこそ
舌もつれと抒情、うつくしい雨などと、恥ずかしげもなく呟いてみたくなったわけです。
しかしじじつとして、舌もつれと抒情は、とても足りない。
今、世界には足りなすぎる。
すらすらとかたられる嘘などいらない。
詩人が舌をもつらせながら、全身を抒情させてうたううたを
私はききたい。
夢の中のうつくしい雨に打たれるように。