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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

27日、石巻での「読み語り」の活動と京都からの絵本の支援についての話を聞く

27日の土曜に、
京都市の子どもの本屋さん「きんだあらんど」で
同店と連携し石巻市で読み語りの活動を続ける「NPO にじいろくれよん」の代表
柴田滋紀さんのお話をきくことができました。
同店代表の蓮岡修さんのお話とともに、大変心に訴えるものがありました。

「にじいろくれよん」の柴田さんはみずからも被災され、
避難所にいた時、そこで元気を失っていた子供たちに援助物資の絵本を読んであげたところ、とても喜んだ。そこから活動を始めたそうです。
現在8箇所の避難所で
遊び相手、読み語り、絵画プロジェクトなどを実施しています。

絵本や本の読み聞かせによる心のケア。
私にはとても新鮮な発想でした。
私自身もこれまで何度か詩の朗読をしてきて、
「書いた本人が思いをこめて自分の詩を朗読するのがとても心に響いた」
という感想を何度も貰ったことがあります。
そのことも思い合わせてお話を聞いていました。

柴田さんのお話は
言葉と声というものが持つ可能性の一端を知っていた私には
とてもうれしいものでした。
信頼する読み語るひとの声が子供に言葉への信頼を与え
言葉への信頼がひとや世界への普遍的な信頼につながっていく──
読み語りの初回はなんだろう?という顔をされるが
2回目以降、本を持って行くと夜な夜な読み続けていたりする。
そのことをお母さんがまず喜んでくれる。
お母さんとのコミュニケーションが取れて
継続して行っていけば「見守ってくれている」という信頼関係が生まれてくる、
ということです。

避難所で行う読み語りの活動は
親御さんも読み語りをしてもらうことも含めて必ず関わって貰うのです。
つまり親御さんと子供と読み語り者との三者の「個」の関係となります。
あくまでも親を含めた「個と個」の関係が大切ということです。
そのとき子供も親も、「子供と親」だけでなく
第三者が介在することで「個」になって互いに社会化していくんですね。

読み語りとは、被災した子供に何を与えるのか。
「子供には父性と母性の双方が必要。違う大人が補うことで、家族を肯定的に見られるようになるのです。そのために必要な言葉は絵本の中にある。そしてそれを実際与えるのが読み語り者の役割」
父親とうまくいっていかない子供が、読み語りの結果、読み語りをしてくれたお兄さんの方が好きになるということにはならないそうです。
逆に、お父さんを尊敬するようになるということです。

私が思うに、つまり子供の本には、作者という個から、子供という個への
いわば投壜通信としての言葉が存在していて
読み語り者は、その壜を声によって空けてあげ
子供に人間としてのみえない滋養として与える役割を持っているのではないでしょうか。そしてその滋養は、子供が社会や世界で生きる時の大きな普遍的な力になる。
まさに言葉の力が子供の個としての成長を支えていくわけです。

一方「きんだあらんど」は
「にじいろくれよん」を通じて
避難所の子供の年齢、性別、状況を把握し
その情報を元にちょうど興味を持ってもらえる本を選書します。
本は同店が募集した「オーナー」に委託されたかたちで
蓮岡さんが選定します。
それらの本は「にじいろくれよん」と避難所を通じて親御さんに渡され
子供と一緒に楽しんでもらうよう両者にサポートしてもらうとのことです。

例えば親を失った小学六年生の少女には何を贈るか。
六才の子供にはどれがいいか。
(六才の子供には六才の子供が「ききたい」言葉があるそうです。
大人が六才の子供に「きかせたい」言葉ではなく)
蓮岡さんが本の選定をした時の話をされた時、
どれほど愛情と想像力をこめて一冊の本を選定したかを知り
感銘を受けると共にとても驚きました。
見知らぬ一人の子供に対して、どうしてそれほど心を砕けるのでしょうか。
そこには子供と子供の本を見つめてきた経験の深さがあり
さらには僧侶でもある蓮岡さんの次のような思いもあります。
「遠くの人を想い支援する心とは筋肉みたいなものではないでしょうか。継続的に使えば使うほど大きく太くなって、その強さが、周りの人たちに自然に手を差し伸べる力になると思います。できるだけたくさんのかたに豊かな心を味わっていただきたいと願っています」

蓮岡さんは被災した六歳の子供に贈った絵本「マリールイーズいえでをする」を
その場にあつまった私たちのまえで読み語ってくれました。
まさに母性ともいうべき父性のあふれる温かな声。
マングースの子供が家出をして母親の大切さを知る小さな魂の旅に
一同はひきこまれていきました。
私の奥に眠っていた六歳の子供も目ざめていくようで、とても新鮮な体験でした。