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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ハッキョ(三)(「東柱を生きる会」オプショナル・ツアー)

戦後直後京都市内には
在日の方々によって自主的に朝鮮語を学ぶ学校が作られたそうです。
それらは朝鮮戦争前に「朝鮮人学校閉鎖令」で閉鎖されますが、
やがて在日の方々の努力で再建されました。                   Image330_2
その一つがこの学校です。
木造はやがて今のコンクリートの校舎になりましたが
文部省から助成金は出ないままです。
父兄の寄付などでまかなっているものの
運営はほんとうに大変だということです。

「懐かしいなあ」と思ったのは
お金がかけられないからなのでした。
高度成長期そのままのコンクリート校舎や
木枠の窓や暗い廊下や
やかんが湯気立つストーブなど旧式なもろもろを
「レトロだなあ」などとつい口にしてしまったとは
なんと脳天気だったか。
よく考えれば
みな在日の方々の必死の手作りだからですね。

民族学校に来ることは今ほんとうに大変なことです。                                Image331
日本の高校のように無償化の恩恵は受けられないし
受験資格では大きく差別される。
少子化だけでなく経済的な理由でも生徒数は減っていくだろう
と校長先生は話されました。
そんな中でこの学校に来ることはどんな意味があるのか──
それはただひとつ
四世五世と変わっていく在日社会における
アイデンティティの基盤、砦としてです。
(「砦」という言葉は先生が言われたのではなく
この学校訪問のあと愛沢さんたちとその前に立った
田中高原町にある東柱の詩碑に刻まれてある言葉です。
尹東柱の思いは彼の詩作の砦であったこの地に今なお息づいている」)

そう「砦」。
ここはみんなで創り上げていく砦なのでしょう。
イデオロギーとしてでなく
父母の姿や社会の状況の中でつかみとった実感の中から
民族の一人として生きていこうとしている生徒たち
「死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥じ入ることもないことを」
「そして私に与えられた道を
 歩いていかねば」
今の社会においてそれは
東柱の決意といかほども違わない。
あの日見た黒板を向いていた生徒達の
のばされた背筋やはにかんだ笑顔や透き通ったまなざしを
私もきっと忘れることはないと思います。