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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「太陽の男たち」上映会&徐京植さん講演会

パレスチナ関連の映画上映会&講演会のお知らせです。
東映画研究会(Mefist)第1回研究会として、11月28日(日)13:30より、京都大学にて、パレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニー原作の不朽の名作「太陽の男たち」(1972年、シリア、日本語字幕つき)の上映と、上映後に、作家の徐京植さんによる講演「難民と国民のあいだ〜パレスチナ人と在日朝鮮人〜」が開催されます。

【日時】2010年11月28日(日)13:30〜17:15(13:00開場)
【会場】京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟 地下講義室
    地図http://www.h.kyoto-u.ac.jp/access/
【上映作品】「太陽の男たち」(日本語字幕つき)
(ガッサーン・カナファーニー原作、タウフィーク・サーレフ原作、1972年、シリ
ア)
【講演】徐 京植「難民と国民のあいだ〜パレスチナ人と在日朝鮮人〜」
 ★ 資料代300円 / 事前申し込み不要
【主催】中東映画研究会(Mefist)
    京都大学大学院人間・環境学研究科 岡真理研究室(PJ21)
【問合せ】PJ21kyoto@gmail.com

□ストーリー
舞台は、ナクバから10年後のイラク・クウェイト国境。三者三様の理由で、クウェイトへの密入国を目指す3人のパレスチナ難民の男たち(一人は少年)。彼らの密入国
請け負ったのは、パレスチナ人の給水トラック運転手。条件は、国境を越えるとき、空っぽの給水タンクに身をひそめること。灼熱の砂漠で焼かれた金属製タンクの焦熱地獄に人体が耐えられるのはわずか7分・・・果たして、男たちは国境を越えられるのか!?

□講師プロフィール
徐京植(そ きょんしく)1951年、在日朝鮮人2世として京都に生まれる。早稲田大学第一文学部(フランス文学)卒業。作家、東京経済大学現代法学部教員。著書に『ディアスポラ紀行』(岩波書店)、『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社)、『半難民の位置から』(影書房)、『植民地主義の暴力』(高文研)ほか多数。『民族を読む 20世紀のアポリア』(日本エディタースクール出版)では、1章を割いて、カナファーニーの作品について論じている。

□ガッサーン・カナファーニーについて
1936年、イギリス委任統治下のパレスチナ、アッカーの富裕な弁護士の家庭に生まれる。1948年、イスラエルの建国にともない故郷を追われ、難民となって、ダマスカスの難民キャンプで苦学する。国連が運営する難民のための学校で美術教師となり、のちにクウェイトへ渡り、ジャーナリズムの道へ。次いでベイルートへ渡り、PFLP(パレスチナ人民解放戦線)のスポークスパースンを務める傍ら、ジャーナリスト、作家として健筆をふるう。1972年5月の日本赤軍のロッド空港におけるテロ事件(PFLPとの共同作戦)に対する報復として、同年7月、自動車に仕掛けられた爆弾によって、9歳の姪のラミースとともに爆殺された。享年36歳。人間が難民となるとは、難民として生きるとは、人間にとって祖国とは、解放とは何かを作品を通して思想的に探究し続けた。

パレスチナ・ナショナルデーについて
1947年11月29日、国連総会で、パレスチナを分割し、そこにユダヤ国家を建設することが決議されました。その直後から、パレスチナではパレスチナ人に対する民族浄化の嵐が吹き荒れることになり、80万以上のパレスチナ人がイスラエル建国にともない、故郷を追われ難民となりました。11月29日は、パレスチナ人を襲った「ナクバ」の悲劇の幕が切って落とされた日です。国連パレスチナにアラブ国家の創設を決定したこの日は同時に、国連におけるパレスチナのナショナル・デーでもあり、毎年、国連では、パレスチナ国家建設とパレスチナ難民の帰還の権利を確認する声明や演説行われています。