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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

日朝の懸け橋 奪わないで

 4月14日付朝日新聞に、掲載された在日朝鮮人の学生の意見です。当事者の側の、柔軟で若々しい思考がここにあります。この成さんにとって朝鮮学校は、在日朝鮮人の立場において必然的に生まれる「日本人にも、本国の韓国人、朝鮮人にもなりきれない」という迷いと不安から、「そんな在日朝鮮人だからこそ、日本と朝鮮半島の懸け橋のような存在になれるんじゃないかな」と未来への確信と希望へ向き直るための力、つまりアイデンティティーを確立する大切な場所でした。生徒達は、大人になっていずれは、日本社会の一員として生きていく。朝鮮学校は、そのための基礎力を与えてくれるのです。

        高校無償化の除外−日朝の懸け橋奪わないで    

            法政大学国際学部4年   成美香(ソンミヒャン)

 4月から高校の無償化が始まった。朝鮮学校の除外問題は国内外で多くの関心を集めたが、結局、当分先送りとなった。これは在日朝鮮人だけでなく、在日外国人と日本の問題であるともいえるだろう。
 私は、在日朝鮮人4 世として生まれた。小学校から高校までの12 年間は朝鮮学校に通い、現在、日本の大学で学んでいる。
 朝鮮学校へ入学したのは「母国語である朝鮮語を学んでほしい」という両親の方針からであった。当時、私自身は「在日朝鮮人」だということは、もちろん理解しきれていなかった。しかし、朝鮮学校へ通う過程で多くのことを学んだ。在日朝鮮人としてのアイデンティティー,母国である朝鮮半島のこと、そして自分が生まれ育った日本のこと。何よりかけがえのない友達がたくさんできた。
 日本の大学を選んだのは、今後も日本で生きていくうえで日本の教育も受けてみたいという好奇心からだった。18歳で初めて入る日本社会。自分の名前を名乗れば必ず聞き返され、韓国からの留学生と勘違いされる。その都度生い立ちを説明するのも正直うんざりし、日本人は在日のことをあまりに知らないと一方的に憤ったこともあった。
 それでも友人たちは私に普通に接してくれる。日本人に受け入れてもらった気がしてとても感激した。私はそれまで在日社会という狭いなかで守られるように生き、気付かないうちに「日本」を拒否していたのかもしれない。少なからず日本への偏見を抱いていたことに恥ずかしい気持ちになった
 私は自分の立場、アイデンティティーについて深く考えるようになった。そして自分が在日朝鮮人であることをしっかりと自覚し、在日朝鮮人として生きていくことを決めた。
 「日本人にも、本国の韓国人、朝鮮人にもなりきれない」から、「そんな在日朝鮮人だからこそ、日本と朝鮮半島の懸け橋のような存在になれるんじゃないかな」といった変化が私のなかで生まれた。 
 私に考えるきっかけをくれたのは、まさに朝鮮学校と日本の大学双方の大切な友人であり、感謝の気持でいっぱいである。このような教育や社会がなければ、私は今も自分を隠すように生きていたと思うし、何よりも1世が必死に守ってきた国籍を捨てていたかもしれない。
 私はいま、より多方面から朝鮮半島を見たいという思いから、朝鮮学校時代の経験を生かして朝鮮半島について学んでいる。日韓学生会議に所属し、日本人、韓国人とお互いの考えを話し合い、交流も深めている。
 そんな中での今回の問題。学生として学ぶことは誰もが持つ権利である。大切な後輩たちにも思い切り学んでもらいたい。しかし、無償化の対象から除外されるということは、我々在日朝鮮人にとって、国と国の間の「懸け橋」としての役割も奪われ、さらにその立場にすら立つことができないということにつながってしまうであろう。真の友愛、共生とは、いったい何を意味するのであろうか。