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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

共鳴

今日、知人と一年半ぶりにPhoto
京都の老舗のクラシック喫茶で会いました。
詩や今回の無償化の話でもりあがり
いつしか三時間が過ぎていました。

店内にはショパンのピアノが流れていました。
音楽に詳しい知人は
「昼なのになんと夜想曲ですよ」
と教えてくれました。

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ショパンは亡命に次ぐ亡命の果て
パリに客死しました。
彼が生まれる前地図上から消えた祖国ポーランド
青年になった頃、独立運動ワルシャワ蜂起があった。
ショパンも武器を取ろうとしましたが
周囲から才能を惜しまれて止められ
ポーランドの土を鞄に入れてウィーンへと旅立ちます。
しかしウィーンでもポーランド人ということで敵視され
20歳の時パリへと逃れます。
そしてそのままパリで37歳で亡くなりますが、
死ぬ前日に残した遺言のとおり
心臓だけが祖国に帰ります。

「二度ともうこの国には戻って来られないような気がする」というこのひとつのフレーズだけで、わたしは、ショパンと自分が重なり、父が国を離れたときの想いに近づけた。ようやく朝鮮半島の悲しみが胸に響いた。ショパンの言葉は父の言葉となり、父の願いはショパンの願いとなって、今もわたしの心に語りかける。
                                     ( 崔善愛『父とショパン』)
七月末
朝鮮学校無償化除外アンソロジー』の編集作業をしながら
私はこの崔さんのショパン
ウォークマンで聴きつづけました。
崔さんについてはまた別な機会に詳しく書きたいですが、
お名前の善愛=ソンエ、には、驚きました。
このブログで創氏改名を話題にしたとき
私の名を朝鮮語で読むと「ソンエ」になる、
そういう名の女性はどこにいるのだろう、
というようなことを書いた直後に
素晴らしいピアニストの善愛さんと知り合ったのですから・・・。

善愛さんの指は
ショパンの悲しみを
ご自身の悲しみに重ね合わせ
なんと優しく深い音を生みだすのでしょう。

探りあてられる音の思想と、詩の思想。
崔さんがピアノに向き合う姿勢は
詩人のそれと通底するものがあると直感しています。

件の知人との会話は
私たちが本当に自由になるには
自分の言葉や行為が他者に受け止められ、
その心に共鳴して、他者のものとして再生されることにある、
という風に私が語って終わりました。
そのとき知人が深くうなずいてくれたというそのことも
共鳴」でした。