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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

6月21日ゲスト講義in横浜市立大学(三・感想篇)

横浜市立大学のゲスト講義の報告のさいごは、学生さんたちの感想をピックアップして締めくくりたいと思います。
たくさんの感想の中からいくつかの、全文あるいは一部分をご紹介します。

「昔、ことばがまだなかったころ、あふれる気持をどう表現したんだろうと考えたことがあります。こわいことをこわいと言い、素敵だと思ったものを素敵だとつぶやき、好きな人に好きと伝えることができる、人類全体のことばって、ほんとうにすごい機能だと思います。
 本日の講義で、その人類全体のことばから氷山の一角のように、私たちの問いかけ⇔応答がなされているという表現が印象にのこったし、なんだかすてきだな、と思いました。
 帰れない場所へ帰ろうとする干し魚、なんだか私はそんな気分です。
 我々はことばというパスポートで様々な世界にとびたてます。
 ただし、しっかりかえってこれる母国をもつことができるし、もつべきですよね。」

「先生は、中上健次さんが植えた水仙を見た時、それが中上健次さんが植えたものと知ったあとと前では、知った後の方がその水仙がキラキラして見えたことをおっしゃっていました。それを聞いて「星の王子さま」の��大切なことは目に見えない�≠ニいう言葉を思い出しました。先生はその水仙から、中上健次さんが精神の病のようなものを抱えながら、小さくてかわいい花などを慈しむ姿や、それらを大切に思う中上さんの想いのようなものを感じられたのではないかと思いました。」

「『言葉の山』の説明などもそうだが、被差別部落の苦しみをぶつける手段として『文学』による言葉を使用したことは、言葉の力強さの証拠であると思う。また、以前にも詩を朗読して下さった先生がいらっしゃったが、詩を作る人には、詩の音やメロディーや流れが見えているんだなと思った。(・・・)詩というのは「曲」として在るのを好まない「音楽」であるのかもしれない。」

「詩というものはありふれた風景を言葉で記憶し、その言葉を紡ぎ出すことで作られる虚構だということを、今日の詩で強く感じた。この詩という虚構の中では、被差別部落という言葉を路地という言葉に置きかえることで、読む側の印象を変え、表現を広げることができるなど、詩の奥深さを知った。」

「『この子と、この子に生きる世界に、稲穂と野菜があまねく行き渡りますように』この中上健次の言葉が心に響いた。なんて温もりにあふれた言葉なんだろう、と思った。また、中上健次が身体を丸めて農作業にいそしむ姿は、私にもある種の感動をもたらした。そのひたむきさのようなものが、私の心を打った。」

「今日の講義で河津聖恵さんの詩を紹介してくれました。外国人の私には、ちょっと難しいけれども、リズムがはっきりしているので、意味はだいぶわかっています。そして、詩として、リズムがはっきりしているなら、理解しやすいだけではなく、とても美しいです。また河津先生の詩は中国の現代の女の詩人と似ていると思います。風景や人を対象にして、読む人は想像しながら、詩人の気持がわかります。とても美しい詩です。」

「詩をよんで、ブログのようだとおもいました。誰によまれているかわからない、よまれることを前提にしていないブログです。(とても複雑で何度もよみなおさないとわからないわけではないけれど、ただの日記でもない。)(・・・)リズムを詩に見出すには、声に出して朗読されることを前提にしている気がします。先生の詩もよんでいただくまではリズムをかんじることはできませんでした。わかりやすいこと、したしみやすいことが、必ずしも内容のないもの、学術的ではないものではないとおもいます。」