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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

長谷川櫂『震災歌集』

長谷川櫂『震災歌集』。 3.11から12日間よみつづけた短歌をまとめたもの。「不安と混乱の日々」を、短歌という形式において発揮される日本語の根の力、底力で受けて立った記録集です。 長谷川氏は俳人。しかし震災の破壊を目の当たりにして生まれてき…

北島理恵子『三崎口行き』(ジャクション・ハーベスト)

北島理恵子さんの『三崎口行き』(ジャクション・ハーベスト)は とても素敵な詩集です。 最初に序文の代わりに短い詩が置かれています。 遠景 わたしたちは生まれる前の、海の水面のきらめきの話をする幼い頃布団の中で見た、怖い夢の話をするいまここにあ…

7月24日丹波マンガン記念館見学

先週の日曜日 京都市右京区京北町にある丹波マンガン記念館に行ってきました。左京区からバスで約一時間半。丹波の山の奥にその記念館はありました。 昨年11月、韓国のユン・ドヒョンバンドが行った記念館の再建チャリティーコンサートに行って以来、訪れ…

ツェランと原爆

アウシュヴィッツの悲劇をうたったユダヤの詩人、パウル・ツェランが原爆の詩を書いていたのは余り知られていないと思います。(ツェランの生涯などについてはこちらをご参考下さい→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%…

言葉と戦車

ノルウェーでの凄惨なテロの詳細が分かるにつれ私の中でも大きな衝撃が拡がっています。 被害者を有無を言わさず二度撃って確実に殺害したこと、対岸の住民は1時間半もの間、数え切れない銃声を聞いたこと。 私はアウシュヴィッツなどの強制収容所でのナチ…

『環』(藤原書店)46号に「詩獣たち(三)・幼獣──中原中也」を書いています

『環』(藤原書店)46号に「詩獣たち(三)・幼獣──中原中也」を書いています。 この連載の趣旨は「詩獣たち」というタイトルが表しているように詩人を現実や世俗や時代によって負わせられた傷の中からうったえ、うたう「手負いの獣」として「捕らえる」こ…

ふるさと

昨夜NHKスペシャル「飯館村・悲劇の100日」をみました。 飯館村は当初は避難区域に指定されず、住民は村に残りました。しかし、実際は村の土壌は高濃度の放射能に汚染されていました。四月になってようやく国によって計画的避難区域に指定されました。…

7月20日付朝鮮新報文化面書評「闇の中でなお美しい言葉の虹──辺見庸『水の透視画法』」

■7月20日付朝鮮新報文化面書評■ 闇の中でなお美しい言葉の虹──辺見庸『水の透視画法』 河津聖恵 本書に収められたエッセイの大部分は、2008年から2011年まで共同通信社配信で全国各紙に掲載されたもの。折々の時事的な話題や日常に触発され書かれ…

詩の欲望は3.11へ向かって(四)

今被災地には、その何割さえもまだ手の付けられない瓦礫の風景が拡がっています。私自身も先日宮城県石巻市の瓦礫の原に立ちまさに空襲や原爆投下による焼け野原とのアナロジーを感じました。正確には映画やテレビで見た空襲や原爆投下の映像とのアナロジー…

詩の欲望は3.11へ向かって(三)

3.11という表現は、恐らく9.11に擬せられています。そのようなアナロジーを安易だとして抵抗を感じるひともいるでしょう。震災の悲劇だけに限ればそれは天災によるものだからテロと同一に論じるのはたしかに誤りであるし、不謹慎だという気持がある…

詩の欲望は3.11へ向かって(二)

このブログでも以前紹介した「文學界」6月号に発表された辺見庸さんの詩篇「眼の海──わたしの死者たちに」は、震災後、一気に書かれた詩群です。 ここにある詩のことばは、これまでにこの国で書かれたどんな詩よりも、冷たく悲しく私の胸に浸透してきました…

詩の欲望は3.11へ向かって(一)

3月11日以降、誰がどのような詩を書いているか、よくは知りません。詩としては信じられないほどの低劣な表現の次元にあるにもかかわらずなぜか喝采を浴びている震災詩があるのは知っています。しかし今、3月11日以前と同じ日常を、あるいは非日常を信…

7月8日京都新聞朝刊「私論公論」」 「福島原発事故──原子力制御は思い上がり」

一週間前に掲載された論説ですが、とても説得力のある筆致の文章でしたので、転載致します。「刹那的利己的なエネルギー多消費に東縛される文明観からの自己解放が課題となっている」。たしかに今、政治の動きを見ていると、原発からの脱却が、この国ならで…

7月11日付京都新聞夕刊「鎮魂 祈りやまず 東日本大震災発生4カ月」

「鎮魂」。それは今、そしてこれからもずっと、この国に生きる一人一人が行わなくてはならない魂の仕事となりました。深い鎮魂の思いにすべてを沈め、遠い被災地の瓦礫を、死者の骨をひとつひとつ拾う気持で、生き直していきましょう。毎月11日、「その時…

7月10日「石巻復興ウォーキング」(三)

門脇南浜地区から、日和大橋を渡りました。 橋からは瓦礫の山がみえ、次第に、生温い潮と傷んだ魚と堆肥の混ざったような、強烈な臭いを感じ始めました。けれど「この特有の臭いも知って欲しい」と案内人の松村さんはおっしゃいました。かいだことのない臭い…

7月10日「石巻復興ウォーキング」(二)

石巻漁港で昨日、震災後初めて水揚げが再開されたというニュースを聞きました。水産加工などの復旧はまだまだでしょうが、彼地で止まっていた時間が、張りのある競りの声をかけられて新鮮な魚のように動きだしたようで、嬉しい気持になりました。 さて、復興…

7月10日「石巻復興ウォーキング」(一)

10日、石巻復興ウォーキングに参加しました。生涯忘れられない体験をしたと思います。(といいつつも、当日はかなりの酷暑で、頭がぼけて記憶違いや脱落もきっとあるにちがいないのですが・・・。) 金子さんご夫婦の車で、仙台から石巻へ北上しました。仙台…

昨日まで東北にいました

昨日まで東北にいました。9日には仙台太白区の東北朝鮮初中級学校での「朗読コンサート」、10日は石巻で復興ウォーキングに参加しました。どちらも自分自身にとって、大きな出来事でした。8日夜にバスで京都を出発し、9日朝に仙台着、それからお昼前に…

7月9日「復興支援コンサート」in東北朝鮮初中級学校

8日21時に大阪発仙台行きの夜行バスに京都から乗り込みました。車内にはすでに始発から乗車の他のメンバー5名が揃っていました。またボランティアらしき若者中心に満席でした。これから日本海側に出て北陸を通り、新潟、福島を通って、12時間の長旅に…

7月5日付東京新聞夕刊「もっと「いのちの表現」を──震災後にツイッターを始めて」

7月5日に東京新聞夕刊に掲載されたエッセイを転載します。ここに書かれているように、私は4月末からツイッターに参加しています。いつしかすでに1000を超える呟きを放っています。他者の言葉に触発され、自分の言葉が動き出す、そして今度は自分の言…

7月4日付京都新聞朝刊「詩歌の本棚」

「空が青いから白をえらんだのです」。センスの良いコピーかとも見まごう一行。だがこれは『奈良少年刑務所詩集』(寮美千子編、長崎出版)に収められた詩「くも」全文だ。同詩集は、刑務所の「社会性涵養プログラム」の一環である詩の授業で、少年受刑者た…

『100,000年後の安全』(マイケル・マドソン)

先日見た、フィンランドの高レベル放射性廃棄物の地層処分場建設のドキュメンタリー。マイケル・マドセン監督(デンマーク)が2009年に制作しましたが、まさに今、この日本で見る者がもっともタイムリーな戦慄を覚える映画ではないでしょうか。 ヘルシン…

辺見庸『水の透視画法』(三)

掉尾を飾る「非情無比にして荘厳なもの」というタイトルの文章は3月11日の大震災で作者自身の生まれ故郷(宮城県石巻市)が津波に呑み込まれる悲惨な映像を目の当たりにしてから書かれたものです。 このエッセイをネットで見つけて読んだ時私は胸につまっ…

辺見庸『水の透視画法』(二)

この一書にある言葉は低く、静かに、無彩の薄闇に沈められています。 その闇とはこの世界の表層を覆い尽くすうすっぺらなだからこそ執拗で透明な危機的な闇でもあり、 また、世界をひそかにいきづかせている者たちがいる母胎のようなあるいは地獄のような闇…

辺見庸『水の透視画法』(共同通信社)(一)

辺見庸『水の透視画法』(共同通信社)が出ました。 ここに収められたエッセイの大部分は、2008年から2011年まで、共同通信社の配信で全国各紙に掲載されたもの。私も京都新聞で読むのを楽しみにしていました。 連載時には辺見さんご自身が(以前テ…