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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

7月10日「石巻復興ウォーキング」(三)

門脇南浜地区から、日和大橋を渡りました。161
橋からは瓦礫の山がみえ、
次第に、生温い潮と傷んだ魚と堆肥の混ざったような、強烈な臭いを感じ始めました。
けれど「この特有の臭いも知って欲しい」と案内人の松村さんはおっしゃいました。

かいだことのない臭いはどこかひとを不安にさせます。
(死の臭いか、生の臭いか。あるいはどちらともつかない未知のものか)
しかし臭いはもっともことばにならないもので、
本質や真実を鋭くうったえかけてきます。176
それが何であるか分からなくても、どんどんこちらに染みこんでくる。
しかし瓦礫の現場の圧倒的な臭いというものを
率直に体験して良かったと思います。
臭いによって、風景の色や光がより深く心に浸透したように思えますから。

橋を渡ると
鯨の工場のモニュメント兼タンクであった、高さ10mにもなる巨大な缶が道路に転がっていました。
そして造船所や水産加工場の建ち並ぶ川岸には、壊れた建物だけでなく191
大きな船が打ちあげられた瀕死の鯨のように、傾いていました。

損壊した工場などの日陰には
津波の後に残ったと思われる水溜まりがいくつもありました。
半透明の小魚の群れが素早く泳いでいるのが見えました。
かなり大きなものもいました。
一匹ずつがはっきりしない分、未知の生命力そのものの姿を見た気がして、少し胸をつかれました。

そして内海橋を渡り中州にたどりつき、
漂流物に護られ奇跡的に残ったハリストス正教会堂の前で、ゴールとなりました。

解散のまえに松村さんと、代表の方の挨拶がありました。
復興ウォーキングの企画には反対意見もあったそうです。
(つまり滅多にない企画だったことになり、たまたま開催をツイッターで知ったのはラッキーだったと思います、そしてすぐに参加の手続きをしてくれた金子忠政さんにはあらためて感謝です。)
しかしお二人は強調しました。
今日見た人はそれぞれ、戻った生活の場で周囲に伝えて貰いたい、と。
(西光寺のご住職も、皆さんの町にある普通の景色がどんなにかけがえのないものであるかを感じて下さい、そして伝えて下さい、とおっしゃっていました。)
代表の方は、ようやく身元確認出来た教え子の葬儀から駆け付けたそうです。

そう、今回の4時間余りの炎天下でのウォーキングで見た景色や聴いた言葉は
すべて、見た私たちに託されたものなのです。
この石巻がまだまだ復旧していないことを、広く知らせてほしい──
なぜなら非被災地の人々はもう、テレビで間接的に見た震災の被害の風景など
やはり他人事で、急速に忘れつつあるというのは事実だからです。

だから私もまた、今後の支援を模索しながら、この日与えられた風景を、言葉にしたいと思います。
瓦礫の風景がきこえない音波で訴え続けていたことを、
そしてそこに溶け込んでいたはずの
6000名の死者行方不明者の思いと、その何倍もの人々のかれらへ寄せ続ける思いを。
海鳴りの奥にいまだひそむ透明な死の太陽と
そこここで声もなくたしかに生まれていた、光のような、影のような、小さな再生の奇跡を。