2022-01-01から1年間の記事一覧
鈴木志郎康氏が亡くなった。1960代から70年代、無意味な言葉と身体性で日常と体制に挑み続けた「極私的ラディカリズム」の詩人である。半世紀前の言葉を読み返しているが、それらがなおアクチュアルなのに驚く。コロナ禍や戦争の文脈が日常に次々浸透してい…
京都・西陣にある「レースミュージアム・LOOP」2Fで、友人の御母堂である故・石川なごみさんのクンストレース(芸術編みの技法を自由な絵柄に編み込む作品)の額絵が展示中です。 芸術的で繊細な超絶技巧に見入りました。他にも様々なレースに室内が華やいでい…
「詩人会議」1月号に詩「鏡」を書いています。ウクライナでの戦争は日中戦争と、今を鏡として映り合う。未来は同時に過去へ向かう。そんな不安と恐怖を、詩で見つめてみました。
詩に定型のリズムはない。だが詩はつねにどこかで固有のリズムを模索している。音律だけでなく、感情による内在律や構成によるリズムもある。それらが巧みに合わさることで、作品は彼方へ鼓動を始める。 江口節『水差しの水』(編集工房ノア)は、円熟した齢(…
詩は他者はどのようにして描くのか。詩は孤独な独白であるが、それゆえ他者をつよく求める。日常の次元を超え、他者の魂と直に交わりたいという純粋な思いが詩を書かせるのだ。孤独の深まりの中で研ぎ澄まされた言葉が、他者の本質的な姿をつかむ。 上野都『…
六月に行われた沖縄戦没者記念式典で、七歳の少女が自作の詩を朗読した。美術館で「沖縄戦の図」を見た時の衝撃を素直に綴ったものだが、私は胸を打たれた。「こわいよ 悲しいよ」という幼い声が、遥かな昔ガマで死んだ子供の声のようにも聞こえたのだ。その…
「反詩」という言葉がある。かつて詩人の黒田喜夫が提示した概念で、詩に立ちはだかる、詩になりがたい悲惨な現実を意味する。黒田は詩は「反詩」と関わり、それを組み込むことで深く豊かになると主張した。今戦争を筆頭に今次々と押し寄せる「反詩」の濁流…
今、戦争の殺伐とした空気が世界を席巻している。片隅で書かれる詩にもそれは及んでくる。どんなテーマや手法で書こうと、あるいは戦争からいかに離れようとしても、危機感や不安感はどこかに翳を落とす。一方詩の読みも変化せざるを得ない。今発表される詩…
三月二十九日は詩人立原道造の命日。かつて明けないコロナ禍に絶望感を覚えだした頃、ふと再読した立原の言葉に救われた思いがしたのを覚えている。特に死の直前詩人として生き直すために、病を押して出た旅の中で記された「長崎紀行」は今も眩しい。結核と…
ウクライナといえばこの詩を思い出す。あまりにも美しく悲しい詩です。今このとき、さらに。 (無題) パウル・ツェラン(中村朝子訳) ハコヤナギよ、お前の葉が暗闇のなかを 白く見つめている。ぼくの母の髪は 決して 白く ならなかった。 タンポポよ、こんな…
若冲をテーマとする連作詩集『綵歌』が、ふらんす堂より刊行されました。刊行日は2月8日、若冲の誕生日(旧暦)です。 本書に収めたのは、2006年から5年半をかけて書き継いだ30篇と、各篇について図版付きの解説、そして理解の補助としての略年譜です。詩集と…
詩の言葉はふいにあふれだすものだ。日常の奥底で密かに熟成されてきた言葉が、やがてふさわしいテーマに行き当たる。その時、詩は解放されるように生まれる。「私」が「私たち」となるための地平が見えてきて、言葉は彼方へとあふれる。 浦歌無子『光る背骨…
新詩集『綵歌』がふらんす堂から刊行されます。 刊行日は若冲生誕の2月8日。発売日は奇しくももバレンタインデー。五年半かけて試みた詩による若冲へのオマージュです。若冲の代表連作に「動植綵絵」がありますが、そこに収められた絵が30幅であったことに私…