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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2022年3月21日付京都新聞「詩歌の本棚・新刊評」

 三月二十九日は詩人立原道造の命日。かつて明けないコロナ禍に絶望感を覚えだした頃、ふと再読した立原の言葉に救われた思いがしたのを覚えている。特に死の直前詩人として生き直すために、病を押して出た旅の中で記された「長崎紀行」は今も眩しい。結核と戦争の絶望から生み出された珠玉の言葉たちは、まさに今を生きる者のために輝いているかのようだ。
 神原芳之『流転』(七月堂)の作者は一九三一年生まれ。大阪で戦災に遭い敗戦を迎え、戦後は立原も愛したリルケを始めとする独文学の研究者となる。本詩集の各詩は、無駄のない透明感ある言葉で、テーマを明確に浮かび上がらせる。の凛とした輪郭を支えているのは、文学者としての言葉の経験と戦争体験者としての反戦の姿勢だろう。
 建築家でもあった立原の設計図を元に建てられた小屋が埼玉にある。数年前私も訪れたが、まさに詩作の孤独にふさわしい美しい空間だった。その名は「ヒヤシンスハウス」という。
「上空から眺めていると/沼のほとりに立つの屋根に/目印のような記号が/青く光っていた/のちにその地点に行ってみると/小屋と見えたのは 木造の/別荘風の小住宅だったが 屋根に/青い印などあるはずもなかった/入口も窓も開け放しで/だれでも好きに入ることができるのに/屋内は少しも荒らされていない/そこには どうやら/地上とは別の時間が流れている/宇宙を巡回している霊たちが/ときおり立ち寄っては/必要な世話をするらしい/この世と霊の世界との美しい共鳴がある/青い印が光っているときには/設計者本人の霊が訪れている/彼はいつも窓を開け放って/沼のほうを眺め渡していて/思うことはいつも同じ/(辿り行きしは 雲よりも/はかなくて すべては夢にまぎれぬ)*/けれども夢は のちの世を生きる人々の胸で/とりどりの樹木となって繁って
いる」(「ヒヤシンスハウス」全文、*は立原道造の詩「南国の空青けれど」より)
 井上嘉明『背嚢』(編集工房ノア)の詩の多くは、事物の感覚に戦争の記憶を喚起されて始まる。切り詰められた詩行が、じりじりと匍匐前進するかのようだ。作者は、戦争が社会や人間や文化を破壊し物質に還元するものだという痛覚を、少年時に身体で知ったのだろう。敗戦もまた歯茎の痛みから立ち現れるのだ。
「自分の力を試すように/ものを噛むくせがついていた/酷使した歯は/増える一方の虫歯とあいまって/禿びてしまった/その数も減っている//歯茎をつたって/耳の底から聞こえてくるものがある/戦争に負けて/にわかに流れ出した/ラジオの英会話 軽快なソング/「狸囃子」が早化けしていた/カム カム エーブリボディ/調子につられて/毎日 噛む訓練を始めた/知らない時代にむかい/どんな咀嚼の方法があったのだろう//歯ぎしりと断念と/そして 希望は たいていの場合/前後してやってくることを知るのは/何年も経ってからだ
った」(「噛む2」)
 服部誕(はじめ)『息の重さあるいはコトバ五態』(書肆山田)は、事物を緻密かつ詩的に描写しつつ、時間という抽象的なものが錯綜するありさまを描く。それぞれの生の時間が交わることは難しい。ましてや戦争へのまなざしが大きくことなる男と女の時間は。
「さあ男よ 勇気を出してこうべ首をめぐらそう/ゆっくりと横をむき/女が見ているものを見てみよう/まだだれも知らない永遠というものを」(「女たちのいる風景」)