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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2024.3.19京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 全詩集を読むのは贅沢な体験だ。詩人の生涯を年譜と作品でまるごと堪能できるのだから。だが最も興味深いのは、「詩とは何か」という詩人の数だけ答えのある問いをめぐって、模索したすがた。一人の詩人の真摯な苦闘の道のりをつぶさに知ることは、後続の者にとって大きな意味がある―。

『岡崎純全詩集』(思潮社)を読みそんなことを思った。岡崎氏は1930年福井県越前市生まれ。敦賀市で教師生活を送った後、2017年に亡くなるまで北陸の代表的な詩人として活動した。かつては京都の大野新氏などと交流し、モダニズムにも影響されたが、結局は「ふるさと」の詩人であることを選んだ。自足や自閉ではなく氏の「答え」として。声なき「常民」の思いを聴取し表現する言葉、風土に抱かれつつ風土を抱き返す氏の言葉そのものが「答え」なのだ。

「北陸の農村に生まれ、ただひたすらに土に汗して生き、安らかな死を願望しつつ生を終えていった」寡黙な者たちの「切なる情念がいとしくてならない」(『極楽石』あとがき)。収録詩は少年詩、ライトヴァース、郷土詩などに分類されるが、どれも北陸の人々の生死を高い技量で、愛情を込めて形象化する。例えば「ふるさとの山」と喉仏が照らしあう珠玉作「日野山」。

「村の東に/背筋を伸ばして座す日野山(ひのさん)がある/私のふるさとの山である/八百米ほどの山なのだが/「漸 白根か嶽かくれて 比那か嵩あらはる」/と「おくの細道」に記された山である」「私たちは日野山を正面に見ながら/縄手を歩いて学校へ通った/季節は日野山から降りて来た/八月の日野山の祭りの後には/きまったようにお庭流しの夕立があった/それに合わせて村人たちは大根の種を蒔いた/日野山に三度雪が降ると/いよいよ村里にも雪が来るのだった/私たちは雪をわくわくして待った//父が逝き母が逝き/父や母の喉仏を掌に乗せて/日野山の姿になんとなく似ていると/私は思ったことだった/人はみなふるさとの山の姿を飲み込んで/生きているのだった」

 麻生直子『アイアイ・コンテーラ』(紫陽社)の作者は北海道奥尻島生まれ。本書もまた「ふるさと」と人間の関係を見つめる。土地の神話や言葉の生命力が関係を生き生きと蘇らせる一方、「ふるさと」から追われる少数民族ウクライナの悲しみにも眼差しは届く。作者の幼年期の記憶と様々な他者の「ふるさと」が交錯する。言葉の音楽性がそれらを共鳴させるかのようだ。

   掉尾(ちょうび)を飾るのは京都の小野篁伝説と、金採掘によって空洞化した「ふるさとの山」を重ね合わせた詩「鳴山の空洞」。

「暗闇の大穴の底には冥界への入り口があり/小野篁(おののたかむら)が閻魔羅闍の官吏をしているかもしれず/京のみやこの古刹を訪ねて来たばかりの/旅のものには/蝦夷(えみし)の井戸掘りの暗がりに百鬼夜行をみる//太鼓山に登りませんか/頂上で跳ねると/とーん とーん とーん と音がしますよ//松前半島の山脈や渓谷や河川の/その道筋を密かにたどれば/かつての隠れ切支丹の集落に行きつく/渡り党のように海を渡り砂金ブームに紛れ込んで/迫害から生き延びた流人 盗賊 禁教令遁れが/密かに掘りつづけた金山跡の空洞//砂金運搬の切支丹道路はだれにも知らせない/残酷な人間たちよりも/山河のある大地ははるかに優しい/鎮まる原野/川のなかの轍/行方も知らず/大海に消えて行った使徒の小舟」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『言葉』と『ことば』ー田村隆一生誕百年」(『PO』2024年春号)

総合詩誌『PO』2024年春号の「ことば」特集に寄せて、「『言葉』と『ことば』ー田村隆一生誕百年」を書きました。これは昨年12月の講演「いま、戦後詩をみつめる」の準備と並行して書いたもの。ちなみに講演では詩を、田村の言う「感情の歴史の創造」と捉えて話を進めました。一緒に読んで頂ければ幸いです。f:id:shikukan:20240228003049j:image
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「いま、戦後詩をみつめる・抄録」(『詩と思想』3月号)

詩と思想』3月号に、昨年12月23日に国立市公民館で行った講演会「いま、戦後詩をみつめる」の抄録が載っています。抄録といっても今回は第一部のみ、11頁にもわたっています。4月号に水島英己さんとの対談と会場からの質問と応答が載ります。編集部のご好意に心から感謝します。

 ちなみに写真下は『荒地』と『列島』の対比表。これがあって良かったと会場から言われました。もちろん全体的に分かりやすく対比したもので、個々の詩人についてはそれぞれまた別の見方ができるでしょう。

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詩の講座のお知らせ

4月から京都で詩の講座を担当します。
詩に関心のある方、実作をしてみたい方はぜひ。一緒に楽しく学んでいきましょう。

□タイトル
「好きな詩に出会い、好きな詩を書くー詩を書こう」
□講師
河津聖恵(詩人)
□概要
詩とはなにか。この講座ではあなたの「好きな詩」のことだと考えてください。好きな表現やフレーズに触れる喜びや楽しさは格別です。きっと詩を書きたくなるはずです。 たくさんの「好きな詩」に出会い、あなたの「好きな詩」を書いてみませんか。詩の歴史と京都ゆかりの詩人についても学びます。初心者でも経験者でも一緒に詩を楽しみましょう。
□日時
第4木曜日 13:30~15:00 4月25日、5月23日、6月27日            

□場所
京都新聞文化センター
(〒604-8578京都市中京区烏丸通夷川上ル 京都新聞南館ビル8階)
□受講料
8,910円(税込・3カ月・3回)
□教材費
300円
□教室管理費
300円
□入会金
3,300円(税込・3年間有効) 70歳以上は半額
□申込先
京都新聞文化センター
TEL075-213-8146 FAX075-213-8139
担当  宇野 美里
E-mail misato@kyoto-pd.co.jp

 

2024年2月5日京都新聞朝刊「詩歌の本棚・新刊評」

 倉橋健一『宮澤賢治ーー二度生まれの子』(未来社)は、30年以上前に刊行された賢治論を増補し復刊したもの。だが全く古びていない。詩人でもある著者の思索の言葉は、賢治についての固定観念を次々と打ちくだく。とくに「中原中也の関心」と「二度生まれの子」の章は興味深い。1923年から2年間京都に滞在した中也は、恐らくその間に富永太郎を介し賢治の詩を知ったという。やがて『春と修羅』の生命力に震撼させられ、空虚なダダイズムの方法から離れ始める。
 中也は「宮澤賢治の詩」で書く。「彼は幸福に書き付けました、とにかく印象の生滅するまゝに自分の命が経験したことのその何の部分をだってこぼしてはならないとばかり。それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮ぶままを、ーーつまり書いてゐる時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした」。その詩は中也や高橋新吉ダダイストを、創造的で新鮮な「野蛮さ」でつよく惹きつけた。
 「二度生まれの子」とは「徹底した厭世主義」をくぐり抜け、修羅から信仰へと蘇生する存在。連作「無声慟哭」は、「トシの死をつつむ全部の状況を、ともあれ自分の内面史として、叙事的に克明に定着させようと」する試みだと著者はいう。愛する妹の死に刻々とどこまでも寄り添う賢治の詩は、戦争や災害で死者が数としてカウントされ続ける今を撃つ。
 江嵜一夫『仮眠する雷鳥』と『沙漠の真珠』はほぼ同時の刊行(共に編集工房ノア)。前者は二冊の既刊詩集を合本した再版であり、冬山登山での極限状況を、新刊の後者はシルクロードでの異空間体験を描く。どちらも苛酷な自然に具現化した死に、自身のよるべない生を向き合わせる。死に触れられ仮象だった自己が実在となる瞬間を、見事な比喩や鮮やかなイメージでつかみ取る。一篇一篇が生を取り巻く死を描きだす、言葉の力によるスリリングなドラマだ。この二冊には登山や旅で作者が育んできた深い叡智が、時にユーモアも湛えつつ、死の闇の中の星のように煌めいている。
「垂直の最短距離を落石がはしった 帽子をとばし/男の休息していた後頭部に ジャスト・ミートした//小さな悲鳴を聞きつけ 這松の根っこで/仮眠中の雷鳥がむっくり起きあがった//不安定な足どりで近寄ると 遠まきにのぞきこむ/まっ青になった人間をしりめに//頭の割れ目にくちばしをつっこみ 目を細めて言った/ーーここんところが一番うまいんだ」(「雷鳥」全文)
「南疆鉄道の貨物列車と貨物列車が/マッチ箱がこすれるように/すれ違いざまに小さな竜巻がおこる/こちらに近づいてくるでもなく/黄色の火打石を落としてゆく//街路樹の銀杏をよけて/歩道の縁石を蹴って軽く飛ぶ/イスラム寺院の前で/羊肉を売る店の前に立つ/皮を剥かれた羊が鉤に吊るされ/客は部位を品定め/大柄な店員はナイフで肉を削ぎ/切り売りする/けものの命を断ち/肉を剥ぐ男の目つきは鋭い//一滴の水は血より貴重なのだ/水で流すこともなく/店の溝に血だまりが/わきの桶には臓物/毛皮と頭部が無造作に転がっている/この街は生臭い/人間も動物もみんな生臭い//秋、御堂筋の銀杏を踏みつぶして歩くとき/羊肉を売る店の前に立つ」(「銀杏のころ」全文)
  なお『仮眠する雷鳥』には、1981年に亡くなった京都の詩人黒瀬勝巳氏への追悼詩も収められる。
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HP「一篇の詩への旅」開設のお知らせ

HP「一篇の詩への旅」が出来ました。

各人がそれぞれ選んだ一篇の詩を肌身で感じつぶさに読み解きながら、詩の時空を旅します。

まずは、

尹東柱「序詩」(河津聖恵)

「藤田武の一首」(加部洋祐)

の二つの旅をアップしました。
どうぞひととき、豊かな詩の小さな旅をご一緒にー。https://nzdmw.crayonsite.com/

12月23日の講演会の記事・1月10日毎日新聞夕刊

昨年12月23日の講演会を記事にしていただきました!

同世代の記者が歴史家の和田春樹さんの著書とタイアップさせて、とても的確に書いてくれました。

「印象深かったのは、河津さんがこのテーマを選んだ理由を「戦争が決して過去のものではなくなった今、戦後詩から教えられるものは大きい」と語ったことだ。また『荒地』と『列島』それぞれの特徴を対比しながら、双方の考え方と手法をよく見極める必要があるとし、今、反戦詩を言こうとする場合も、単なるプロパガンダに陥らない私性」の担保が重要だと述べた点に共感した。」

なお和田さんの著書は政治の季節を振り返るもの。今回の講演会が、ウクライナやガザが今も潜在する戦前がふいに可視化した現在、必然的な流れから生まれたような気がしてなりません。今後も、戦前と戦後が照らし合うような仕事をしていきたいです。

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