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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2024年12月20日「しんぶん赤旗」文化面・石垣りん没後20年によせて

(遅ればせながら年末に「しんぶん赤旗」文化面に出た石垣りんさんについてのエッセイを以下にアップします。)

 今戦後詩に惹かれている。戦後詩とは狭義には敗戦後から1950年代までに書かれた詩を指す。とりわけ1950年代前半までこの国の詩は社会の中で輝いていた。今から見れば眩しいほどに。戦後民主主義によって表現意欲を触発された市井の人々が、職場の組合や療養所や夜間高校などで「サークル詩誌」を作り、胸からの「うたごえ」として率直に詩を綴った。詩を書く限りは決して希望を失わないという思いで。

 今年没後二十年を迎えた石垣りんは戦後詩を象徴する詩人だ。戦前は民衆詩人に学び、戦後サークル詩誌に作品を発表したことがきっかけで、広く知られるようになる。代表作の一つ「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」は『銀行員の詩集』(1952年版、全国銀行従業員組合連合会刊)に収められた。当時三十二歳の石垣は、働く女性としての思いをこううたう。「私たちの前にあるものは/鍋とお釜と、燃える火と//それらなつかしい器物の前で/お芋や、肉を料理するように/深い思いをこめて/政治や経済や文学も勉強しよう、/それはおごりや栄達のためでなく/全部が/人間のために供せられるように/全部が愛情の対象あって励むように。」男女同権下でも男たちの価値が重んじられていた。だがそれはもう無効だ、女が手仕事の中で掴んできた知恵からやり直そう――そんな根源的な転換への提言に胸をつかれる。

 十四歳から銀行員として働き出した。金銭的に自立し物を書く自由が欲しかったからだ。家庭は複雑だった。幼くして母と死別、その後父は結婚と離婚(または死別)を繰り返す。戦争末期に自宅は全焼し、若い石垣は一家の経済を背負うことになる。定年まで働きながら詩作したが、もっと学んでおけば良かったと悔やむこともあった。だが「書くことと働くことが撚り合わされたように生きてきた」からこそ、その詩は自己と人間への曇りのない眼差しと社会に広く訴える力を獲得した。生きとし生けるものの体温が宿る発想と比喩。現在の希薄な言語空間に置けば命の湯気が立つ。

 1950年代つまりサークル詩時代の詩は、同時代が共有する反戦や幸福への思いと共鳴し、「語りかける」文体だ。一方1960年代以降の生活詩と呼ばれる「シジミ」や「表札」は、命の連鎖と個の自覚を独白的に綴る。変化したのは、社会が経済を優先し始めたことが内面に翳りをもたらしたからだろう。だが社会がどう変わろうと「旗じるしのない私の精いっぱいの表白」という詩のスタンスは変わらない。無名の人々への愛と、自らの孤独の双方に足場を置く、生活派や社会派には括れない「ほんとうのことば」のあふれる豊饒な詩人なのだ。

 戦後詩の魅力たっぷりの詩は事実や感情の貴重な証言でもある。「挨拶」は、原爆被災者の写真の公開が許された1952年、焼けただれた顔の写真に添え職場に貼り出された。「一九四五年八月六日の朝/一瞬にして死んだ二五万人のすべて/今在る/あなたの如く

 私の如く/やすらかに 美しく 油断していた」と詩は終わるが、この「美しく」は、平和がいつ壊れるか分からないという危機感を絶妙に表現する。1965年職場の新聞の戦争追悼号に寄せた「弔詩」は、同じ職場から出た犠牲者の名を挙げ呼びかける。「八月十五日。/眠っているのは私たち。/苦しみにさめているのは/あなたたち。/行かないで下さい皆さん、どうかここに居て下さい。」もはや生者に死者が忘られていくのではない。生者が死者に見捨てられていくのだ。その実感に詩人は引き裂かれた。「美しい和子姫/幸福な人間を見ることは私共のあこがれである/その、より多いことこそ/最も強いあこがれである。」と結ぶ「よろこびの日に」は1950年、ある皇女の結婚に感じた思いをありのままに書き、職場の文化祭や集会で朗読した。この「強いあこがれ」は今も埋み火のように消えてはいない。

 石垣りんの詩を、戦後詩を読もう。私たちの希望と危機の根源を振り返り、そこから今にうたう声を汲むために。

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2025年1月13日京都新聞文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 詩を書いていると、ふと「彷徨っている」という感覚を覚えることがある。それはまず詩作というものの、形式や意味から自由なあり方に由来するだろう。だが今を生きることもまた、彷徨の感覚をもたらしているのではないか。過去が未来を創造するのではなく、過去からはぐれ未来も見えないあてどなさが、今この世界を覆う。詩はそれをどのように捉えているか。

 草間小鳥子『ハルシネーション』(七月堂)は、詩と時代の彷徨感覚をアクチュアルに重ね合わせる。「ハルシネーション」とは、AIが事実に基づかない情報を生成する現象、言わばAIが見るリアルな「幻覚」のようなもの。この詩集には誰が見ているのか分からない、現実のようでいてもはや(あるいはまだ)現実ではない世界が広がる。そのようなリアルとフェイクの境界を彷徨う「わたし」は、消えゆこうとする世界に指先だけで「読唇」するように触れ続ける。その触感を、硝子片のように美しい言葉たちがきれぎれに綴ってゆく。原発事故、コロナ、戦争が歴史意識、そして「わたし」と他者との関係を断絶させ、世界自体が彷徨い出したのか。だが全てが失われてゆくにしても、世界の消失のかがやきだけは失われない。そんなかすかな希望を本詩集は告げるようだ。その澄んだかがやきを微細に鏤めながら。

「薄いカレンダーをめくると/冬空の破線から鳥が滴る/立ち止まることさえ咎められる場所で/時を重ねることを成長と呼べるなら/歴史はより幸福なものであっただろう//樹上に溶けのこった粒状の瞳に/冬ざれた空のほころびから/自重でこぼれ落ちてゆく星が映る/赤黒くふくらみきった/みずから光ることもできない巨星が//あけすけな疑念をとりうくろって先を急ぐ/嘘を嘘だと認めながら責めずにいるように/すべての光は/目に入ったそばから虚像を結ぶ/遠くにぽつんと灯りが見えると/あれはわたしのための光ではないかと/すがるように勘違いをして/そんな都合のよさに救われる日もあった//世界は誰にも肩入れしない/だからうつくしく正気だ/視線の先/まばらに霧が立つ」(「日めくり」全文)

 山内優花『きせつきせつ』(和中書店)もまた彷徨の感覚を日常の風景や出来事に投影しながら、柔らかに言葉を紡ぐ。作者の内面空間が舞台であり、明確なテーマに沿う展開がないのでやや読みにくい面もある。だがそれは、今を生きる感覚を、繊細にありのままに表現しようとするからだ。世界から彷徨い出した「わたし」と「わたし」から彷徨い出した世界は、窓が夕暮れに青く染まる間だけ、つかのま幻のように交錯する。「名前」を交わしあうように。

「窓が夕暮れの窓が目を見張るほど青く/染まる時間があって、名前を呼びたくなります//路面電車が通過する音がきこえる/寒い季節には踏切の音も/電車が通過するとき/すこし揺れて/引っ越してきたばかりのころは/地震と区別がつかなかった//夕暮れは退屈なのだ/ほかに考えることがないから/秒針の鳴らない時計と/書見台に開かれたままの本/どこかで犬が吠えている//乾燥した唇を/気にしているふりをしながら/夕暮れは/わたしが手離したものに/やすやすと捻じ伏せられている/抵抗もしない//いま/名前を呼ばれても/ふりむくことはできないかもしれない」(「青」全文)

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「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(2)」

ふらんす堂通信182」に「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(2)」を書いています。今回は「春の雪」に(とりわけ性愛の場面に)雪月花の美意識と反時代性がいかに顕れているのかを考察しました。『豊饒の海』を読み進めながら詩を書いた私自身の体験についても書きました。f:id:shikukan:20241106152400j:image

2024年11月4日京都新聞文化面「詩歌の本棚・新刊評」

   今年はアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が刊行されてから百年目。久しぶりに同書を繙いてみた。百年前に書かれたとは思えないほど、今詩を書くことを熱く鼓舞する声が聞こえてきて驚いた。シュルレアリストたちは想像力を愛おしみ畏怖し、無意識や夢に耳を傾けながら、無償で純粋な詩を書くために生きたのだとあらためて実感する。詩人たちのひたむきさに胸を深く打たれる。恐らく今だからこそ。

 玉井國太郎『玉井國太郎詩集』(洪水企画)は日本では近年稀に見る優れたシュルレアリスム詩集。ここにはブルトンの詩のような自動記述はなく、無意識というよりむしろ繊細な思考によってイメージとイメージは繋がれる。しかし詩によって壊れた世界を新たな世界へと蘇生させようとする意志において、作者とブルトンは遥かに連帯していると言えよう。詩を書くかたわら、ジャズピアニストとしても活躍した作者は2010年、50歳で自ら命を絶った。理由は知る由もないが、全ての作品に世界の外部に触れるような危うさと美しさがある。だが最後まで詩の「夢見る力」を信じて懸命に生きたことは、作品全てから痛いほど伝わってくる。現在の戦争をも見通してしまったかのような絶望と、それでも遥かな友愛に賭ける希望。そのはざまで揺れながら書き続けた作者の「終わりのないうた」が、時を超え、多くの人々の琴線に触れてゆくことを願う。

「窓をあけてください/時をこえて/あなたの腕をひろげて/夜の果てに/ふたりの星座を打ち上げるため//うたをつくりました/あなたが/景色に耳をすますやり方で/終わりのないうた/ふるえるのどにからみつく//気まぐれな神さまの企みのまん中を/わらいながら/駆け抜ける風のけもの//あなたが/佇(たたず)み もの想うはやさは/すべてのくるしい夜をまたいでゆく/うごかない地面が/いまも宇宙を旅する速さをなぞり/泡立つひかりの/ひとつひとつとなって//窓をあけてください/永遠にとどく眼差しを/まっすぐにのばして/うたをつくり 踊りながら/ふたりの命を包み合うように」(「窓をあけてください」全文)

 依田義丸『連禱』(思潮社)もまたシュルレアリスムの詩集。全篇が散文詩だが、ふと日本のシュルレアリスム詩に散文詩が多いことを思い出した。理由は、恐らく行分けでは余白が重く、想像力を羽ばたかせにくいからだ。例えば瀧口修造は短いフレーズをたたみこみリズムを作る。だが本詩集の一文一文は一般的な長さであり、とりわけリズムを作ることなく、流れるように惨劇を描き出す。語り手はなすすべもなく惨劇に巻き込まれるが、それこそは詩人の意志だ。本詩集は「ぼく」が詩に巻き込まれることで、どんな未知の光景が見えてくるのかを試す実験詩集とも言えよう。本年春に亡くなった作者が、現実を超えて見た真実の光景とはー

「ぼくの目の前を、一本の針が布を縫い進んでいく。真っ赤な布は大きく広がり、ひと針ひと針、赤い縫い目がどこまでも伸びていく。ぼくは自分の見た奇蹟を書き残したい衝動に駆られる。/一隻の船が海を航行しはじめる。海は残照に真っ赤に染められ、船の後には赤い航跡が残されていく。ぼくが安堵していると、一本の針が真っ赤な海を進んで、赤い航跡が縫い込まれていく。/ぼくは不安に襲われる。そして、さっきまで見ていたものが、針だったのか船だったのか、わからなくなってしまう。」(「針と船」全文)

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2024年9月16日京都新聞「詩歌の本棚・新刊評」

 新川和江さんが亡くなった。かつて詩誌「現代詩ラ・メール」を吉原幸子さんと共に創刊・編集した新川さんは、「女性詩」というカテゴリーをまさに体現する詩人だった。こちらを包み込む大らかで母性的な声を思い出す。それは今華やかさと明るさと静けさ、そして一抹の虚無感を含む詩から、響く。詩人の魂が直接に語りかけて来る。

 橋爪さち子『晴れ舞台』(土曜美術社出版販売)からも声を聞く。京都の生まれの作者の柔らかな京都弁の声。それは幼い頃の母の声でもある。母の没後編まれた本詩集は、痛切なレクイエムであると共に、命とは何か、女性として母として生きることとはいかなることかという問いと、悲しみの中で一貫して向き合う。作者の「母語」はテーマと一体化しながら、静かな思考の渦を巻いて、命の根源へと降りてゆく。

 泥から現れる鯉と、母を恋う三好達治の詩をモチーフにした作品「どろ」。

「鯉は/赤 金 赤白 赤黒白 黄白 青白の/それはそれは彩(あや)ないのちの氾濫え//そやのに見入るほどに/ゆらーり漂う極彩色の鱗の奥から/何やら泥状のもんがにじみ出て/水が濁りはじめる気いがするのや/血眼でひとが/鮒から染めあげた夢の魚やしやろか/ほんまに鮮やかな異端らやこと//鯉を見てるとわたし 何でか『測量船』の/「乳母車」が思い出されてならへん/「淡(あは)くかなしきもののふるなり/紫陽花(あじさゐ)いろのもののふるなり*」//あの詩いの三好達治さんは/鯉の派手さとは対極の/うす紫色した風翳に立つ狂おしさと/ミステリアスで端正な横顔したはる//「轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ*」やなんて/お母さんに命じていながら/決して幼のうはないし/母親よりも分別臭(くそ)うあるえ//まるで若い異端者が/母親を慕うて源郷を恋うてしながら/千年後の自身に向けて書いた熱うて/苦い手紙のようや//あの詩い読んで顔上げたら/いっつも決まって ぬちゃぬちゃ/泥底から足を引き抜くように/雲間をわたる天上の子どもらの/白うてまんまるな足くびが/さっとわたしに近づいてくるのえ//私の内らの泥を拭うみたいに な」(全文、*内は三好達治「乳母車」の詩句。)

 たかとう匡子『ねじれた空を背負って』(思潮社)で、作者の魂は地図も持たず、この不穏な今の「ねじれた空」の下をあてどなく彷徨う。そのあてどなさは、世界にたいする倦怠感と虚無感と表裏一体なのだ。泥濘を行くような感覚の中で、現実はおのずと虚構や幻想へとねじれる。作者は言葉の火をともし、みずからの魂の暗がりに現れるもう一つの真実を綴る。どこかダンテの地獄篇を思わせる本詩集もまた、生と死を超える命の根源へ向かってゆくのだ。

回転木馬のまわりには柵が張り巡らされている/猫がくぐれるくらいの裂け目はある/立入禁止区域の/遊園地の片隅/人気のない重たい風に回転木馬は/まぶたのうらの痛み/かきむしっている//朽ちた板のうえにはイタチの死骸もある/あらそいのせいか/みずからぶつかったか/空腹にたえかねて息絶えたか/ことばでその死をあばくことはできない/わたしが見ているかぎり静かである/でもこの先つづく物語の像が結べない/空はとおくへと影を曳き/何も語ってくれない//そのときだった/位置と位置との関係がずれたその隙間をぬって/回転木馬が勢いよくまわりだしたのは/打ち寄せる刻がふぶいて/わたしにめまいが襲った//誰からも忘れられた遊園地/きりきり舞いする/幼なごの/まんまるいてのひら/その面影」(「遊園地」全文)f:id:shikukan:20240916193936j:image

「豊饒と破片ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(1)」(「ふらんす堂通信」181)

ふらんす堂通信181」に、「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み」が掲載されました。三島文学の言葉の特異な自律性を、ブランショの『文学空間』の言語思想と絡めていけたらと当面は思っています。

ちなみに1998年に出した『夏の終わり』は『豊饒の海』を読み進めながら書いた詩集です。その頃だったか「詩人三島由紀夫論」というような小論を、同人誌に載せたことがありましたが、反応が全くなかった記憶があります。唯一あったのが「反応なかったの?驚き!」という一言のみ。今回はちゃんと続き、何らかの反応がありますように。f:id:shikukan:20240811115745j:image