モダニズムはとりわけ戦前、この国の詩に大きな影響を与えた。思想や感情を排し、技巧によって都市的な感覚を追求する詩法だ。それは当時の多くの若い詩人たちにとって一縷の光だった。戦争の現実からつかのま離脱しうる、別世界の創造だった。
『1920年代モダニズム詩人と戦後大阪の詩文化』(倉橋健一、季村敏夫、林大地、琥珀書房)が論じるのは、従来の詩史がとりこぼしてきた、一九二〇年代後半から三〇年頃にかけての「大阪道頓堀モダニズム」だ。藤村靑一と大西鵜之介という二人の詩人に焦点を当てつつ、「不良詩人」たちが「夜毎ドウトンボリに、ステツキを連ねながら爽颯と暴れまわつた」時代を共感とともに描き出す。多くの先鋭な詩誌が生まれ、甘美で過激な詩が綴られていったが、特に大西の詩の成熟は興味深い。大西は一九三三年七月の「神兵隊事件」(「昭和維新」に連なる民間右翼によるクーデター未遂事件)に深く関わり、勾留されたという。「戦後の大西の詩に色濃く滲んでいるのは、暗い過去の存在ゆえの孤絶感と、自分と世間との途方もない孤絶の意識である。」(林)まさに痛みのモダニズムだ。
「もはや私は指の先までも晶化されてゐた/鼻も唇も まつ毛の一本までがガラス体である/長椅子ソファは私の重みをかんじ/私のふとももは大理石よりも冷たい//私は思惟する/故に私の腦髄だけが生きてゐる/この荒涼と凍り切った肉体のなかに/思惟する腦髄は何といふ「喜劇」であらう//かつて 私の心臓のあつた位置には/(思ひ出の 華やかな靜脈の數々よ)/正確な時計を持つた時計が装置され/チクタクと 私の年齢を刻んで居る//このガランとした白い部屋の中心に/私の何年かは「空白」として記録された/ただ 窓のみが半ば開かれ そのすき間から/群衆の聲が そして私の焦燥だけが聞えて来る//手を差し上げ この指の透明さをすかして見る/それが今日の「歴史」に何の意味があらう/かくて 私の横顔プロフイルは極光のやうにやつれ果て/私の手足は鎻のやうに重たい」(「焦燥」)
『動物詩集またはオルフェの行列』(森田いく子訳、思潮社)の作者ギョーム・アポリネールは二十世紀初頭を生きた、モダニズム精神を体現した詩人。動物詩集とは「フランスでは中世からあった」ジャンル。寓意的な動物の木版画と文章を、キリスト教の枠組みで組み合わせる。だが本詩集の獣、虫、魚、鳥の各部の冒頭に現れるのはキリストではなく詩人のシンボル、オルフェ。つまりアポリネール自身なのだ。すでに堀口大学の訳があるが、訳者は「デュフィの木版画を伴ったこのアポリネールの第一詩集は、イメージと結びついた彼の詩学の宣言書みたいなものであるから、」「より原文に忠実な、力強い訳にしたいと思った」という(「解説」)。
「ほめたたえよ/線の比類なき力強さと崇高さを。/まさしく線は光が発した声、/ヘルメス・トリスメギストスが/『ピマンドル』でそう説いている。」(「オルフェ」)
「象に牙があるように/わが口にも宝物を一つ匿している。/それは緋色の死!……われは栄光を買う/美しい調べの命の言葉を吐いて。」(「象」))
「ノミ、友人たち、恋人たちさえ、/私たちを好いてくれるものは みんななんて残酷なんだ!/私たちの血はすべて彼らのために流れる。/愛されるってのもつらいもんだ。」(「ノミ」)
「天へ向かって墨を吐き、/愛するものの血を吸い/そしてそれを甘美だと思う、/この非・人間的な怪物 それが私だ。」(「蛸」、以上全て全文)




