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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2025年12月1日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 詩人は詩を作る過程で、日常の奥に隠された「わたし」に出会う。だがそれは「本当のわたし」や「理想のわたし」ではない。詩だけがつかみ出しうる、今この時における、曖昧かつ危機的な心の状態のことであり、書くまではそのすがたは見えない。だからこそ書きたい、書かなくてはという思いに、内奥からふいに突き動かされる。そして鏡を磨くように、やがて詩の言葉に映し出されてくる「わたし」に出会う。社会や環境の変化を受け刻々と変貌しつつも、なおあらがおうとするすがたが、初めてそこに見えてくる。

 神田さよ『鳥になる』(思潮社)は、震災やコロナや戦争がもたらした孤独と不安によって、暗転した世界に溢れる死の様相と、我知らず変貌した「わたし」のすがたを、意表をつく設定と展開で描き出す。登場する人間たちの多くが死者であり、「わたし」も時に夜の海に漂う死者になる。あるいはパンと水を買いに行っただけで戦車にやられ、部屋でコーヒーを飲んでいるうちに戦死者の屍に取り囲まれる。そのように作者は悪夢の重圧をかけて、現在の世界と「わたし」の実相に迫ろうとするのだ。一方、日本国憲法第九条の文言を美しいと宣言し、白紙に「遵守」と書いてあらがう「わたし」もいる(「冬のはじまり」)。表題作が描く「鳥」は、戦争の暗い予感の下で飛ぶことを恐れ、語ることを手放したい誘惑にかられる「わたし」の実像か。それは反戦の声を上げることを諦めかけた者たちに突きつける、鏡像でもあるだろう。

「鏡に映るわたしの口は鳥の嘴になっていた/唇は固くて尖っている/鏡をつついてみた/化粧室から出ると/同僚がお疲れさまとあいさつした/鳥の嘴になっていることはだれにもわからない/会社を出ると街はすでに夕暮れ/人通りのない道で/夕闇にむかって一声発してみる/チーチーッ/啼き声が夜道に響く/胸がむずむずする/羽が生えてきたみたい/ちょんちょんと跳ぶように夜のアスファルト/街灯の光に山茶花の/散り落ちた花びら/踏み潰されて赤い汁/しみ込む血のいろ/きのう 戦車の群れを新聞で見た/固い嘴はカチカチと小刻みに震え/いつのまにか言葉を持たない鳥になったわたし/首を傾げ暗い空を見つめている」(「鳥になる」全文)

 都圭晴『ひかりさくかえりみち』(七月堂)の作者は大阪文学学校で学んだ。奥付に「座右の銘は、『わたしは、わたしになるんだと思う』」とあるが、作者は確かに「わたしにな」ろうとして、詩作していることが分かる。その「わたし」は内奥というより今ここに生きて存在する「わたし」なのであり、言葉は「わたし」を掴もうと、柔らかなプリズムの光のように解き放たれる。一方掉尾を飾る詩では、硝子に映る夜の「海」の中で、失いかけた「わたし」の密かな蘇生を試みる。

「透明な夜 この不在だけを握りしめていた//誰もいない不動産屋の外 部屋情報を見ていた/硝子には僕 海月となった明かりたち//僕みたいな僕が 僕のような顔貌で/ここには 僕だけがいればいいと願っていた//ガタンゴトン ガタンゴトン/なってやっても よかった過去を背負って/電車が通過していく/ガタンゴトン ガタンゴトン/もう 何かが戻らない音に聞こえた//煌びやかな海月と浮いている/そういえば 僕は笑うのが苦手だったと/思い出しては 笑う//ガタンゴトン ガタンゴトン/高架には 一本の光の橋が結ばれ/硝子の海を過ぎ去っていく/ひとつの 忘れ去られる時間が愛しい」(硝子細工の夜」全文)

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「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(6)」

ふらんす堂通信』186に、「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(6)」が掲載されました。

 

今回から『豊饒の海』とほぼ同時期に書かれた『日本文学小史』を分け入っていきます。今回はその序章に当たります。

 

『小史』は、各古典において、「文化意志」(文化を創造しようとする芸術的意志)を探るという、三島ならではの特異な文学史です。三島は文学者としての最後の営為として、『豊饒の海』という、戦後という空虚を言葉の海の煌めきでつかのま満たす、長大な物語を書きました。そしてこの物語を書きながら、一方で『小史』にも挑みつつ、倭建命をはじめとして、紀貫之藤原定家といった詩人たちと同様、みずからも文化意志に突き動かされていることを自覚していったのだと思います。『小史』はその自覚の上に立って、「芸術作品を書くように」書かれた文学史です。またそこで発見された詩論が、『豊饒の海』の展開に反映されてもいます。例えば「奔馬」で自分が撃った鳥の死骸を抱きながら嘆く飯沼勲と、詩性と暴力性を担わされて野に追放された倭建命は、明らかに重なり合う存在です。そのように『小史』は『豊饒の海』と映りあっています。『小史』をつらぬく詩論をしっかり読み解くことが、三島由紀夫の自決に至るまでの内面の葛藤を考える上で、非常に重要だと思います。その結果、三島由紀夫の詩性、さらには詩というものそのものにも、これまでになかった角度で光を当てられるのではないでしょうか。

 

ちなみに今回、私自身の詩集『夏の終わり』の詩篇が、『豊饒の海』の「回想の像」が密かにオーバーラップしていることにも触れました。

 

ふらんす堂通信』は「ふらんす堂」のオンラインショップから購入出来ます。ぜひご高覧下さい。

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2025年10月21日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚」

 今内外から伝えられる悲惨なニュースに、無力感をおぼえる表現者は少なくないはずだ。沈黙した表現者は、内面を降りていくしかない。だがそれは感情の濃度を上げていくことでもある。やがて感情の総体が底を蹴り浮上するとき、言葉が生まれる。今を本当に生きる言葉――詩が発生する。

 沢田敏子『祝祭の種』(書肆子午線)には、「底を蹴った」言葉が方々に発芽している。現実に密かにあらがい続けた作者の内面史の、到達点としての手応えを感じる一集だ。今誰もが滅びやすい命を抱きながら「地に/墜ちていく」。だが「それゆえに/無力を悲しまない」存在でもあるはずだと、本詩集は一縷の希望を示唆して終わる。後半部では、作者の等身大の生活や記憶にパレスチナの悲劇を確かな言葉で交錯させる。次の作品はガザ攻撃の直線的な閃光に、子供を慈しむ柔らかな陽だまりを突き合わせる。

「「ひかり」の車窓から/麦色の午後の景色を眺めていた/曇り空の合間から 長くカーブしていく車体に/ひかりが当たった/ひかりを剣(つるぎ)や矢に譬える暗号もあったが/そうか ひかりはまず/思考をはじく 直線として/ひたすらすすむもの/神話では天啓として/戦なら先鋒として/あるいは邪悪な敵勢を灼き尽くし/異族を残らず壊滅させるまで/(そんなこと 不可能とわかっているのに)/ひかりは 天の意志の表象(エンブレム)となって。//煤だらけの顔に目だけ大きく見開いた子どもを/煤だらけの父親が一人 抱えて走っていく/ひかるものがとつぜん撃ち込まれた街を//「ひかり」の車窓のこちら側で目を閉じ/若くして逝った友と会っていた/そのひとはかつて/はがねの直線ではなく/たわみふくらむものを/すなわちひかりの球を詩に書いた/残していく子どもらを/家のそとの道で遊ばせた早春の日に/ひかりはボールとなって幼い笑い声のなか/弾み 跳ね 転がりやまず/ようやく大きい子の両腕に抱えられたのだ/あるいは/その子の両腕に抱えられたふりをしたのだ/ひかりは 子どもらの所有となって。//車体はもうすぐ降車駅の長いホームに到着する/「ひかり」のドアが開いて/着地するわたしの靴裏には きっと/踏んできた燼灰が/付着しているだろう。」(「ひかりと燼灰」全文)

 伊藤芳博『星を拾う』(思潮社)の作者もまた、感情の「底」に煌めき出した言葉を星屑のように拾う。巻頭作「わたしはアンナ」で語るのは、戦争で爆死した少女の声。「アンナ」は二つに砕かれ、「アン」(身体)は滅び「ナ」(魂)だけが生き残った。だが「ナ」は「アン」を切なく求め続ける。この詩の声は、生きたかった全ての非業の死者の声なのだ。

「わたしの名前はアンナ/でもアンは亡くなり/ナだけが生き残ったわ/どうしたっていうの/泣いていたって仕方ないでしょ/息を吹いなさいナ//神は去っていったのか/神がやってきたのか/夜半から 突然の嵐となり/森の木々は荒れ狂う悪意に耐えた/葉が枝を支え 枝が幹を支え/老いた木がわたしの名前を呼んだわ/アンナ アンナ/星の瞬きのような声で」

「どこにいるの/また黒雲が近づいてくる/なぎ倒された木たちが囁くの/星の瞬きのような声で/ナを残せ ナを刻め/でもアン こんナ別れ方って/神を切り刻んでやりたい/わたしのように//悲しみをもって生きる人々の/夜明けはいつも星で溢れている*。//いま 星が瞬いたわ/見える?/わたしの名前を呼んだの/アン(生きたい)ナ」(*原注:「悲しみ~溢れている」は鄭浩承(チョン・ホスン)「悲しみのために」(訳・趙南哲(チョ・ナムチョル)より。)

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アクチュアルなテーマに詩はどう挑むことができるか(2024.6.24詩作講座「詩を書こう」第3回)

noteに「アクチュアルなテーマに詩はどう挑むことができるか(2024.6.24詩作講座「詩を書こう」第3回)(2024.5.23講座「詩を書こう」第二回)」をアップしました。ぜひご高覧下さい。

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