「現代詩手帖」9月号に詩「破片」を書いています。このところ書きついでいる連作「鏡」のうちの一作。今、戦後詩がいい頃合いに焼けたパンのように、自分の詩への未知の飢えを触発しています。その不思議でもあり必然でもある心の状態を、鏡の中に入る境地で…
夏に入り、戦後詩を代表する「荒地派」の再読を始めた。戦死者への思いがこもる同派の隠喩はかつては難解だった。だが今は肌身に迫る。七十年ほど前の若き詩人たちの先鋭な危機感が、現在のぼんやりとした危機感を遥かに照らし出し、形を与えてくれるのだ。…
たかとう匡子『私の女性詩人ノートⅢ』(思潮社)は12人の「女性詩人」を取り上げた詩人論集。私も「〈女性詩〉とは異質な流れから」という副題で取り上げていただいている。第一詩集『姉の筆端』から『夏の花』までの流れが丹念に辿られています。私が、女性詩…
「ふらんす堂通信177号」は受賞特集。私も第41回現代詩人賞受賞詩人として、詩「ピエールとリュース」(連作「鏡」)とエッセイ「現代性という躓きの石」を寄せています。両者ともに、現代詩に固有の「全く別の現代性」を探る試みです。現代詩には近づく戦争の…
『詩人会議』8月号に詩「鏡IIーオルフェ」が掲載されました。戦争をしない、させないという特集にそった内容です。今ウクライナでの戦争からもたらされる、過去と未来が相互に映し合うような感覚をもといにして、連作を試みています。戦争と鏡という二つのモ…
私たちは日本語と日本の風景に、常日頃空気のように親和している。だが詩は、感受性の力でそこに違和を持ち込むことが出来る。日本語が異語のような面白さや不気味さをあらわし、風景が新鮮で危うい異貌をおびるとき、詩はポエムを超えて、現代性と世界性を…
テーマを設定すると、詩は不自由になるようにも思える。だがテーマを持たず思うがままに書くと、何を書いても自由であるがゆえにかえって迷いゆきづまることがある。テーマで詩に負荷をかけることはもっと試みられていい。テーマにどう抵抗し親和するか試行…
愛知県の西尾市岩出文庫から、『詩人茨木のり子とふるさと西尾(増補版)』をご恵送いただきました。 ふるさと西尾の暖かな空気と、昭和という時代の光と影の記憶の中で、この国が生み出した最良の詩人と再会する喜びを感じています。 作品、テーマ別の解説と…
今、人間の声がどこか聞こえがたい。胸の内から自分の思いを誰かに届けようとする真率な声の響きが、巷間(こうかん)から消えているように思えてならない。しかしだからこそ詩が存在するのであり、必要なのだと思う。ちょうど半世紀前、石原吉郎は詩の本質と…
詩は世界の闇や混沌を言葉によって造形するものだー『高良留美子全詩 上・下』(土曜美術社出版販売)を読みながら思った。一昨年亡くなった詩人が、逝去直前まで改稿を重ねた本書は、初期詩篇から今を鮮やかに撃つ。思春期に敗戦を迎えた詩人は、戦争を繰り返…
鈴木志郎康氏が亡くなった。1960代から70年代、無意味な言葉と身体性で日常と体制に挑み続けた「極私的ラディカリズム」の詩人である。半世紀前の言葉を読み返しているが、それらがなおアクチュアルなのに驚く。コロナ禍や戦争の文脈が日常に次々浸透してい…
京都・西陣にある「レースミュージアム・LOOP」2Fで、友人の御母堂である故・石川なごみさんのクンストレース(芸術編みの技法を自由な絵柄に編み込む作品)の額絵が展示中です。 芸術的で繊細な超絶技巧に見入りました。他にも様々なレースに室内が華やいでい…
「詩人会議」1月号に詩「鏡」を書いています。ウクライナでの戦争は日中戦争と、今を鏡として映り合う。未来は同時に過去へ向かう。そんな不安と恐怖を、詩で見つめてみました。
詩に定型のリズムはない。だが詩はつねにどこかで固有のリズムを模索している。音律だけでなく、感情による内在律や構成によるリズムもある。それらが巧みに合わさることで、作品は彼方へ鼓動を始める。 江口節『水差しの水』(編集工房ノア)は、円熟した齢(…
詩は他者はどのようにして描くのか。詩は孤独な独白であるが、それゆえ他者をつよく求める。日常の次元を超え、他者の魂と直に交わりたいという純粋な思いが詩を書かせるのだ。孤独の深まりの中で研ぎ澄まされた言葉が、他者の本質的な姿をつかむ。 上野都『…
六月に行われた沖縄戦没者記念式典で、七歳の少女が自作の詩を朗読した。美術館で「沖縄戦の図」を見た時の衝撃を素直に綴ったものだが、私は胸を打たれた。「こわいよ 悲しいよ」という幼い声が、遥かな昔ガマで死んだ子供の声のようにも聞こえたのだ。その…
「反詩」という言葉がある。かつて詩人の黒田喜夫が提示した概念で、詩に立ちはだかる、詩になりがたい悲惨な現実を意味する。黒田は詩は「反詩」と関わり、それを組み込むことで深く豊かになると主張した。今戦争を筆頭に今次々と押し寄せる「反詩」の濁流…
今、戦争の殺伐とした空気が世界を席巻している。片隅で書かれる詩にもそれは及んでくる。どんなテーマや手法で書こうと、あるいは戦争からいかに離れようとしても、危機感や不安感はどこかに翳を落とす。一方詩の読みも変化せざるを得ない。今発表される詩…
三月二十九日は詩人立原道造の命日。かつて明けないコロナ禍に絶望感を覚えだした頃、ふと再読した立原の言葉に救われた思いがしたのを覚えている。特に死の直前詩人として生き直すために、病を押して出た旅の中で記された「長崎紀行」は今も眩しい。結核と…
ウクライナといえばこの詩を思い出す。あまりにも美しく悲しい詩です。今このとき、さらに。 (無題) パウル・ツェラン(中村朝子訳) ハコヤナギよ、お前の葉が暗闇のなかを 白く見つめている。ぼくの母の髪は 決して 白く ならなかった。 タンポポよ、こんな…
若冲をテーマとする連作詩集『綵歌』が、ふらんす堂より刊行されました。刊行日は2月8日、若冲の誕生日(旧暦)です。 本書に収めたのは、2006年から5年半をかけて書き継いだ30篇と、各篇について図版付きの解説、そして理解の補助としての略年譜です。詩集と…
詩の言葉はふいにあふれだすものだ。日常の奥底で密かに熟成されてきた言葉が、やがてふさわしいテーマに行き当たる。その時、詩は解放されるように生まれる。「私」が「私たち」となるための地平が見えてきて、言葉は彼方へとあふれる。 浦歌無子『光る背骨…
新詩集『綵歌』がふらんす堂から刊行されます。 刊行日は若冲生誕の2月8日。発売日は奇しくももバレンタインデー。五年半かけて試みた詩による若冲へのオマージュです。若冲の代表連作に「動植綵絵」がありますが、そこに収められた絵が30幅であったことに私…
人の心は今どんな傷を負い、どんな希望と絶望が明滅しているのか。不可視の痛みが多くの人の心に深まっているのは確かだ。自己の痛みからそれを捉えられるだろうか。痛みもまた心の奥底で共鳴しうる響きを持つとしたら。遥かな他者の痛みを感受するために、…
最近詩で京言葉を初めて使った。東京から京都に来て長い年月が経つが、その時母語である標準語からふっと解き放たれた気がした。意味や感情に柔らかさが生まれ、風通しがよくなり、対象がぐっと近づいた。 方言には標準語にはない生命力がある。京言葉にも柔…
11月13日に紀の国わかやま文化祭「現代詩の祭典」で講演をします。 紀州・熊野をめぐって詩を書き、詩集『新鹿』と『龍神』が生まれた経験について語ります。 中上健次さんと深く関わる詩「新鹿」一篇が話の中心になると思います。 詳細は以下のサイトにあり…
詩は戦争を伝えることも出来る。詩だけに可能な伝え方を模索するならば。心の内奥で死者と出会う経験を重ねて、それは掴み取られる。幻視する非業の姿、どこからか聴こえる叫び、悲劇を伝えてと託す声。やがて無意識を突き動かされて、新たな詩が始まる。 石…
すぐれた詩は音楽に似る。だが音韻が美しいというだけでは「音楽」にはならない。心と心が響き合うという言い方でも説明出来ない。「音楽」はむしろ心が消え果てた冷たい空虚からやって来るように思う。言葉が読み手にひそむ空虚に触れ、不思議に鳴らす。そ…
視覚は現代詩において重要な感覚だ。だが見えるものを日常的に見ることからも、また見えないものを観念的に見ようとすることからも詩は生まれない。そうではなく日常や観念によって見えなくされている世界のすがたを、言葉の力で陰画のように可視化する時詩…
詩作品にはそれぞれに固有のトポスがある。一般にトポスとは、例えば故郷のように記憶や情動と深く関わる場所を指す。一方詩のトポスとは旅先から自室に至る、詩が生まれたり詩の舞台となったりする時空のことだ。その実相は、日常の遥か外部にありつつ、作…