『ふらんす堂通信』186に、「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(6)」が掲載されました。 今回から『豊饒の海』とほぼ同時期に書かれた『日本文学小史』を分け入っていきます。今回はその序章に当たります。 『小史』は、各古典におい…
今内外から伝えられる悲惨なニュースに、無力感をおぼえる表現者は少なくないはずだ。沈黙した表現者は、内面を降りていくしかない。だがそれは感情の濃度を上げていくことでもある。やがて感情の総体が底を蹴り浮上するとき、言葉が生まれる。今を本当に生…
noteに新しい記事をアップしました。 行について(2024.7.25 「詩を書こう」第四回)|河津聖恵 @kiyoekawazu https://note.com/kiyoekawazu/n/n1fcb0048dc40?sub_rt=share_pb
noteに「アクチュアルなテーマに詩はどう挑むことができるか(2024.6.24詩作講座「詩を書こう」第3回)(2024.5.23講座「詩を書こう」第二回)」をアップしました。ぜひご高覧下さい。 https://note.com/kiyoekawazu/n/n718909c5e554?sub_rt=share_pw
noteに「詩の比喩について、戦後詩の歴史と共に学ぶ(2024.5.23講座「詩を書こう」第二回)」をアップしました。ぜひご高覧下さい。 https://note.com/kiyoekawazu/n/n0e8321d887f1?sub_rt=share_pw
noteに「世界・社会・私・他者と関わるものとしての一篇の詩(2024.4.25詩作講座「詩を書こう」)」をアップしました。ぜひご高覧下さい。 https://note.com/kiyoekawazu/n/nbe677659fe21?sub_rt=share_pw
noteに二つ目の記事をアップしました。今後も講座のレジュメを読みやすくして少しずつ公開する予定です。 https://note.com/kiyoekawazu/n/n3bf514f6d5e9?sub_rt=share_b
2025.6.29に行った「中日詩祭」での講演をnoteの初記事としてアップしました。ぜひご高覧下さい。 詩という多面体に魅せられて--私の詩作体験から|河津聖恵 https://note.com/kiyoekawazu/n/nbaf89d911a4a?sub_rt=share_b
詩作品は内面のどのような次元を舞台とするのか。一般にそれは心、夢、無意識だといわれる。だがそこに魂という次元も加えたい。魂とは前者三つと似て非なるもの。その観念には意志が感じられ、倫理や愛や認識にも深く関係する。あるいは自分の中にありなが…
『ふらんす堂通信』185号に、「破片と豊饒ー-「言葉の作家」三島由紀夫をめぐる詩論の試み(5)」を書いています。今回は「奔馬」の半ばに当たる部分を中心に、飯沼勲の「ますらをぶり」の詩人への変貌を追いました。勲が撃った雉子の亡骸の描写の美しさ、そ…
『詩と思想』8月号に、佐川亜紀さんが行って下さったメールインタビューが掲載されています。三段組で12頁にもわたり、詩の書き手としての来歴と現在の世界への関わりを思う存分?語らせていただきました。 今あらためてインタビューを読んでみても、戦後八…
パルニヤー・アッバースィ「消えた星」についての記事を、HP「一篇の詩への旅」にアップしました。 https://nzdmw.crayonsite.com
詩と音楽は深い関係にある。詩は五七五などの音数律を持たないが、詩作が始まると、言葉がわれしらずリズムを帯びるのを確かに感じる。声を伴うことのない詩は歌詞とは違う方法で、自らに内在する歌をどこかで求めている。詩は無声のままうたおうとする、不…
「詩人会議」8月号に詩「鏡」を寄せました。「特集・戦後80年 明日へ」。1943年ハングルで書いた詩を証拠物件として、留学先の京都で治安維持法違反で逮捕され、1945年2月に旧福岡刑務所で27才で獄死した詩人、尹東柱のお墓参りに行った時の記憶をふくらませ…
6月29日第65回中日詩祭で講演「詩という多面体に魅せられてー私の詩作体験から」を行います。詩は私にとってカットグラスの煌めきと、豊かな空虚へ導いてくれた多面体。その不思議な多面体=空虚体が、詩作を通し私に見えてきた小さな歴史について、お話しを…
現代詩は、詩とは何かをたえず問い続けるジャンルだ。だからその問い自体をテーマとする作品も少なくない。明示的には別のテーマを扱っていても、根本的には詩自体を密かに問う場合もある。そうした詩論的作品は必然的に、詩の純粋性を主張する。そして生き…
「ふらんす堂通信」184号に「破片と豊饒ー「言葉の作家」三島由紀夫をめぐる詩論の試み(4)」を書いています。今回からいよいよ「奔馬」です。勤王少年飯沼勲が自刃するまでの物語に、晩年の三島詩学の到達点が含まれています。次回も含めそれを私なりに剔抉…
「詩は無力じゃないさ。だってぼくらは詩や短歌を読んで生きて来れたんだもの。詩じゃないから無力なんだよ」。二〇二一年に亡くなった歌人蝦名泰洋氏の言葉。氏は現代詩と短歌が同じ「詩」を求めるものと考えた。この世界につねにある「詩」に人は気づかな…
「現代詩手帖」4月号に「不死鳥の黒い歌ー楠田一郎小論」を書きました。3月15日の国立市公民館での講演の準備過程で生まれた論考です。「詩人に必要なのは時代への適応能力ではない」「危機意識に揺さぶられる感受性と、未来の予感と現実の実相をこの今の空…
『藤田文江全集』(谷口哲郎編、書肆子午線)は一九三三年に二十四歳で亡くなった詩人の全貌を伝える。藤田は左川ちかと同時代を生き、永瀬清子と交流し、戦後中野重治に高く評価された。モダニズムの影響を受けながら、その言葉は肉感的で率直だ。九十年以上…
「ふらんす堂通信」183号に、「破片と豊饒ー「言葉の作家」三島由紀夫をめぐる詩論の試み(3)」が掲載されました。前回から引き続き、『豊饒の海』第一部「春の雪」の「詩性」とは何かを論じています。 前回はそれを「雪月花」の美意識にもとめましたが、今回…
(遅ればせながら年末に「しんぶん赤旗」文化面に出た石垣りんさんについてのエッセイを以下にアップします。) 今戦後詩に惹かれている。戦後詩とは狭義には敗戦後から1950年代までに書かれた詩を指す。とりわけ1950年代前半までこの国の詩は社会の中で輝いて…
詩を書いていると、ふと「彷徨っている」という感覚を覚えることがある。それはまず詩作というものの、形式や意味から自由なあり方に由来するだろう。だが今を生きることもまた、彷徨の感覚をもたらしているのではないか。過去が未来を創造するのではなく、…
「ふらんす堂通信182」に「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み(2)」を書いています。今回は「春の雪」に(とりわけ性愛の場面に)雪月花の美意識と反時代性がいかに顕れているのかを考察しました。『豊饒の海』を読み進めながら詩を書い…
今年はアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が刊行されてから百年目。久しぶりに同書を繙いてみた。百年前に書かれたとは思えないほど、今詩を書くことを熱く鼓舞する声が聞こえてきて驚いた。シュルレアリストたちは想像力を愛おしみ畏怖し、無意…
HP「一篇の詩への旅」を更新しました。 2024.11.2河津聖恵・楠田一郎「黒い歌」① https://nzdmw.crayonsite.com/p/14/
新川和江さんが亡くなった。かつて詩誌「現代詩ラ・メール」を吉原幸子さんと共に創刊・編集した新川さんは、「女性詩」というカテゴリーをまさに体現する詩人だった。こちらを包み込む大らかで母性的な声を思い出す。それは今華やかさと明るさと静けさ、そ…
「ふらんす堂通信181」に、「破片と豊饒ー『言葉の作家』三島由紀夫をめぐる詩論の試み」が掲載されました。三島文学の言葉の特異な自律性を、ブランショの『文学空間』の言語思想と絡めていけたらと当面は思っています。 ちなみに1998年に出した『夏の終わ…
モノとコト。合わされば「物事」ともなるこの二つは、じつは詩作における重要な要素だ。もちろん詩の本体はコト、つまりテーマだが、どんなテーマも具体的なモノを書き入れ、読み手の想像力を触発しなければ伝わらない。その時初めてコトはコトとして立ち上…
HP「一篇の詩への旅」を更新しました。 今回は私の「渋沢孝輔『水晶狂い』」です。 https://nzdmw.crayonsite.com/p/14/ 「水晶狂い」の時を超えた美しさにいま、感じ取れるもの、教えられるものを書き連ねました。この詩は、詩作が本質的に狂気であることを…