2013-01-01から1年間の記事一覧
辺見庸さんの新著『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム』(毎日新聞社) を読みました。 昨今の暴力的な政治状況と それに連動するかのような世相と人の心の荒廃。 そのただなかにまさに現れるべくして現れた一書です このブログでも記事にし…
生誕百十年を記念し刊行された、林芙美子『ピッサンリ』(思潮社)が興味深い。全集未収録詩九十二篇を集める。『放浪記』で知られる作家は、小林多喜二と同じ一九〇三年生まれ。炭鉱町を行商して回った貧しい幼年時代の後、定住先の尾道で詩に出会いボヘミ…
『環』(藤原書店)55号に 「詩獣たち」第12回「危機をおしかえす花―石原吉郎」 を書いています 戦後約八年間シベリヤに抑留され その苛酷な期間を「事実上の失語状態」の中で生きのびた石原。 帰国後、詩と散文を書くことで極限体験と向き合っていきま…
11月4日京都新聞/詩歌の本棚・新刊評 河津聖恵 夏の終わりに長野県上田市にある信濃デッサン館を訪ねた。館内には立原道造室があり、そこでひととき自筆原稿やパステル画を眺めて過ごした。夭折した抒情詩人として知られる立原だが、そのエッセイや手紙…
韓国・釜山市の詩誌『poempoem』59号に詩とエッセイを寄稿しました。 月見草 ―― 「いまは 嘆きも 叫びも ささやきも/暗い碧の闇に/私のためには 花となれ!/咲くやうに にほふやうに/この世の花のあるやうに」(立原道造「ふるさとの夜に寄す…
2013年10月15日付「思想運動」に在特会の京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の地裁判決について、エッセイを寄稿しました。 真の��朝�≠ヨの第一歩となる判決 河津聖恵 2013年10月7日京都地裁において、在特会による京都朝鮮第一初級学校への襲撃事…
沙羅双樹 ――花であることでしか/拮抗できない外部というものが/なければならぬ (石原吉郎「花であること」) 河津聖恵 雨あがりの門扉がひらく 葉々を擦る傘の影に 落下する無数のしずくの無数の影 影の重みを脱け 梢で真白く花は我に返る すでにもう 花…
2013年9月8日付毎日新聞読書欄(京都版)「読書之森」に、『ハッキョへの坂』』の書評が掲載されましたので、以下転載します。 「ハッキョへの坂」(河津聖恵著・土曜美術社出版販売) 地に視線を落としゆっくり歩く。夢中になって進みふと顔を上げる…
2013年9月16日京都新聞新刊評・詩歌の本棚 河津聖恵 「真に体験の名に値する体験とは、外側の体験をはるかに遠ざかった時点で、初めてその内的な問い直しとして始まると私は考えている。したがって私に、本当の意味でのシベリヤ体験がはじまるのは、…
先週土曜日(八月三十一日)、東京・新宿区の四谷区民ホールで辺見庸さんの講演会「死刑と新しいファシズム」を聴きました。 今ここにある危機に(私の内部に巣くう何ものか)に鮮やかに、そしてしなやかに膚接する言葉と声。終始はりつめ、触発され、魂を賦…
大変な酷暑が続いたお盆。辺見庸さんの最新作『青い花』(角川書店)を読みつつ過ごしました。「すばる」2月号に掲載された同名小説を大幅に加筆したもの。前作も読んでいましたが、単行本化された今回の作品世界は、さらに魅惑ある広がりと深さがあるよう…
8月5日京都新聞朝刊 詩歌の本棚/新刊評 河津聖恵 「え、これでも詩? という声が聞こえてきそうです。たしかに詩というより、ツブヤキと言ったほうがいいのかもしれません。戦争体験者が次第に消えていくのをよいことに、平和憲法がいよいよ根こそぎ奪わ…
『環』(藤原書店)54号に、「詩獣たち」第11回として「すべては一輪の薔薇の内部に―ライナー・マリア・リルケ」を書いています。 今号の特集「日本の『原風景』とは何か」はTPP交渉で農村がどうなるのか気になる昨今でしたので大変タイムリーで、興…
先週、7月11日から14日まで、山形、岩手、宮城に行ってきました。 この東北行きの計画は二年前朗読会のために訪れた東北朝鮮初中級学校で再び許玉汝さんと共に、今度は講演をすることが決まったことから始まりました。せっかく東北に行くのだから他にも…
ルーマニア映画『汚れなき祈り』(監督クリスティアン・ムンジウ)をみました。2005年同国の修道院で実際起こった「悪魔つき事件」にもとづく映画です。 主人公はかつて同じ孤児院で育った二人の若い女性、アリーナとヴォイキツァ。彼女たちはかつて親友…
6月17日付京都新聞朝刊/詩歌の本棚・新刊評 河津聖恵 薔薇が美しい季節である。この季節にはいつもリルケの薔薇の詩を思い出す。十九世紀末から二十世紀初頭、近代化と戦争を介し、人の生と死の意味が根本的に転換する時代に生きた詩人は、生涯薔薇を詩…
先週土曜日(6月1日)、舞鶴市にある「引揚記念館」を訪れました。なぜここを訪れようと思い立ったかといえば、これからしばらくシベリア抑留体験から言葉を紡いだ詩人の石原吉郎についていろいろ考えようと思っているからです。 ここには石原のエッセイに…
お知らせです。『女性のひろば』7月号(日本共産党中央委員会発行)の「排外主義、ヘイトスピーチ 私はこう思う」特集に弁護士の梓澤和幸さん、新宿区議の佐藤佳一さんと共に発言を書いています。タイトルは「人の魂を殺す犯罪を止めさせよう」です。 他に…
鄭さんはなぜ1926年に植民地下の朝鮮で書かれた李相和の詩の題名「奪われた野にも春は来るか」を写真展のタイトルとしたのでしょうか。 そもそも李相和はどのような状況でその詩を書いたのでしょうか。 以下は一昨年ハンギョレ新聞に掲載された徐京植さ…
3.11以後の写真とは何か。美しい自然を撮るだけでは何が起きたかは伝わらないのでは。目にみえないものをいかに伝えるのか。写真を撮る者とそれを見る者の双方が社会に対する記憶や認識を共有していくことが表現の限界を超えるカギとなるのではないか― …
5月12日こころの時代シリーズ「私にとっての3.11」は東日本大震災被災地直後から福島の写真を撮り続けている韓国人写真家・鄭周河(チョン・ジュハ)氏。南相馬市で震災二周年に開催された写真展「奪われた野にも春は来るか」をめぐって鄭氏の思いと…
2009年から2011年にかけての約一年半の間、 雑誌「現代詩手帖」に毎月連載した、新藤凉子さんと三角みづ紀さんとの連詩「悪母(ぐぼ)島の魔術師」が詩集になりました。岩佐なをさんの挿画が内容に即して各所に挟み込まれ、とても素敵な仕上がりにな…
5月6日付京都新聞・詩歌の本棚/新刊評 河津聖恵 辺見庸『国家、人間あるいは狂気についてのノート』が出た。テーマは詩、言葉、声から、個、国家、歴史まで幅広い。だがその全ては詩に深く通底する。辺見氏は大震災以後、こう問いかけている。「言葉はとど…
「環」53号(藤原書店)に 「さびしさと悲傷を焚いて─宮沢賢治」(「詩獣たち」第10回)を書いています。 私は賢治の世界に小学生の頃初めて接しました。その世界は幼心に「もう一つの世界」のたしかな実在感を与えてくれました。とりわけ「よだかの星」…
現在の正気然とした表層を「視かえし」、狂気の実相をあばくこと。それは抵抗というよりも(辺見さん自身「ことここにいたって抵抗などという、そらぞらしいもの言いをする気はない」と書いています)、まさに「晴れやかな明視界にたいする」「わたしの暴力…
今何が起きているのか、現在の真景とはいかなるものか。この明るい闇に暗順応し私たちはそれをつかみ、突きつけなくてはならないのです。それが今ぎりぎりに残された抵抗です。狂気を狂気としてまなざす眼力。それこそが狂気が正気然としてまかりとおる絶望…
辺見庸さんの新著『国家、人間、あるいは狂気についてのノート』(毎日新聞社)を読みました。 「すばる」2月号の小説「青い花」と共に昨今の自分が抱え持つ、浮遊するようなうっすらとした不安や絶望に確かな重みを与え、降り立つべき底を示してくれた一書…
一昨日、鶴橋で行われた在特会による差別デモへのカウンターに参加し、 プラカードを掲げながら、抗議の声を上げてきました。このデモについては下記の記事をご参照下さい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130401-00000008-scn-kr 当初は荒れるなどと…
3月18日付京都新聞朝刊・詩歌の本棚(新刊評) 河津聖恵 今年は宮沢賢治の没後八十年。短歌から出発した賢治は、二十六才で詩を書き始め、二十八才で生前唯一の詩集『春と修羅』を出版した。多くは戸外でなされた詩作を、詩人は「心象スケッチ」と呼んだ…
『#連歌デモ』第三巻が出来ました。 編者がいうのも恐縮ですが、とてもいい本に仕上がっています。B6判変型、本文112頁です。見返しの、ライラックとグレーの中間のような淡い色がとてもきれいです。本文の作品も、一行に入る字数によって、フォントを変…