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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

舞鶴市にある「引揚記念館」を訪れました

先週土曜日(6月1日)、004_3
舞鶴市にある「引揚記念館」を訪れました。
なぜここを訪れようと思い立ったかといえば、
これからしばらく
シベリア抑留体験から言葉を紡いだ詩人の石原吉郎について
いろいろ考えようと思っているからです。

ここには石原のエッセイに書かれているラーゲリでの苛酷な現実を証言する
当時の貴重な生活品が展示してありました。
多くは監視の目を盗んで材料を調達して作られたという物品の一つ一つからは
アウシュヴィッツとも遙かに響き合う
生々しい痛みを伝わってきました。
体験者の手記やビデオや歴史的な資料なども018_5
やはりここでしか見られないものが多く、来て良かったと思いました。

記念館は舞鶴湾を見下ろす丘の上にあり、
隣接している「引揚記念公園」の展望台からは
舞鶴湾の東港が見下ろせます。
その右手に復元された「引揚桟橋」があり、
13年間にわたって引揚船が遠い満州シベリアから民間人と兵士を運んできました。
総勢66万人以上の引揚者と
1万6千柱以上の遺骨がここから懐かしい故郷へ向かいました。
石原が八年間夢見た海が(夢見過ぎて「喪失してしまった」ほどの海が)
今も変わらず穏やかにたたえている水の優しい色に
ふと胸をつかれました。

シベリア抑留。
それは「終戦記念日」が近づいても余り語られることはない気がします。091_3
それはソ連が日本に宣戦布告をした1945年8月8日という
もはや終戦を目前にした時期に「始まった」のですから。

満州の開拓団が
ソ連軍の満州進撃とともに
関東軍の保護を失い
悲惨な状況に追い込まれたことは、
ドラマなどでは時折見ることはあります。
しかしそれに比べても抑留の話は特集が組まれることは滅多にない気がします。

シベリア抑留は主に軍人の捕虜のはなしです。

ソ連は、労働に利用する目的で五十万人を捕虜にするために
八月下旬から「日本人狩り」を始めました。
軍人だけでなく、官僚や警察や情報関係者や民間人も対象となったそうです
また、日本国籍朝鮮人も捕虜になりました。
ハルビン関東軍情報部にいた石原も
十一月に捕虜となります。

そしてその後、あまりにも苛酷な抑留生活を047
八年間強いられます。
そのつねに死と背中合わせの現実から詩人の魂が掴んだ人間の真実。
石原の詩とエッセイはそれを渾身の言葉の力で抉り出しています。

シベリア抑留とは何だったのかについては
私ももう少し深く調べてから書いてみたいと思いますが、
私にとって石原吉郎という詩人について考えることは、
ぎりぎりの生の痛みの中から
国家や人間や歴史や神について語る
静寂の中から聞こえる声を聴取しながら考えていくことだと思っています。
しかもみずからの今の問題として。
このことについてはまた少しずつ書いていきたいと思います。

なお館内は一部を除き、写真は可でした。

086記念公園にある「ああ母なる国」と書かれた石碑が印象的でした。

「祖国」というより「母なる国」へのダモイ(帰国)だけを願って、抑留者たちは苛酷な生活に耐えたのです。

そしてこの記念公園にある碑は全て、いまだ多くの死者の眠るシベリアの方角、つまり北に向いています。

またあらためて記事を書きたいと思います。