#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2017年11月20日付京都新聞文化欄「詩歌の本棚/新刊評」

『桃谷容子全詩集』(編集工房ノア)が上梓された。今年で没後十五年となる詩人は、一九四七年有名な企業の創業者の孫として生まれたが、キリスト教者の父母の愛に恵まれず、裕福な家で魂の空白感に苛まれて育つ。生来の純粋さゆえに結婚生活が破綻した後は、繊細な精神を傷めつつ労働して独りで生きた。信仰にも救われない絶望の中で、詩を書くことは一条の光だった。二〇〇二年病により五十五年の生涯を閉じた。
 同じく信仰で救われなかったシベリア抑留の詩人石原吉郎や、神の不在に直面して祈ったシモーヌ・ヴェイユをも想わせる詩人だ。五百三十頁にわたる『全詩集』の平易かつ実存的な詩群からは、詩さえ記号化する現在で封じられがちな人間の根源からの声が、鮮やかにそして清冽に立ちあがって来て圧倒される。
「十一月//メドックの樽の中で/芳醇なボルドーが/発酵するように//わたしの内部(なか)で/十一月の悪魔が目覚め始める季節//黄金(きん)色の木の葉が落ちる/黄金(きん)色の瀕死の小鳥のように/黄金(きん)色の切断された天使のてのひらのように/木の葉が落ちる//十一月//まだ生きている/暖かな四十雀(メサンジユール)の首を/やわらかなてのひらで/絞め殺すことを/夢想する//十一月」(「十一月」全文)
「〈もうすぐなのですね〉//神に辿り着いた時/登山列車に灯は点されるだろう/癒された白樺の樹の上に陽は降りそそぐだろう/そして業火のように/私の裡で燃えつづける野火は/神の手によって/ようやく消されるだろう」 (遺作「野火は神に向って燃える」部分)
 同じく編集工房ノアから涸沢純平『遅れ時計の詩人――編集工房ノア著者追悼記』が出た。一九七五年創業の同社は、「全国の地方出版社の中でも少ない、関西で唯一の文芸専門出版社」(帯文)。創業者・社主の涸沢氏が、今は亡き書き手たちとの交流を描いたエッセイ集だ。永瀬清子、富士正晴足立巻一、杉山平一といった著名人から、港野喜代子、清水正一など無名だった詩人たち、そして天野忠、大野新、黒瀬勝巳、鶴見俊輔といった京都ゆかりの書き手たちも登場する(ちなみに涸沢氏も舞鶴市出身)。書き手の生に編集者が伴走した時代の空気を巧みに描き出す筆力に、ぐいぐい引き込まれた。
 今や詩集も入手困難な黒瀬勝巳の人となりと作品も知ることが出来た。引用詩の一篇「歯」から―。
「ともあれ この歯がからだのなかで/いちばん硬いとは うれしいことだ/だいいち 性悪なするめだって/このとおりだし/それに 眠ってからだって/歯ぎしりが噛める/(一連略)/でも/これはなんの根拠もない言い草だが/ひとは その歯において/ひとと訣れてきたのじゃないだろうか/朝晩二回も歯を磨いていると/そんなふうに 俺には思えてくるんです」 
服部誕『右から二番目のキャベツ』(書肆山田)は時間と向き合う。端正で成熟した筆致で、生の流れから成る人間の本来の時間を肉感的に回復させる。まさに「わたしの、プリズムを透過した偏光を放つ〈生〉」(「あとがき」)の詩集だ。時間の情景を描く詩も魅力的だが、それを裏打ちする「時間哲学」を語る詩も興味深い。以下の一節には深く頷かせられる。
「キーホルダーにはない四本目の鍵は/わたしのこころのなかにまだまちがいなく存在している/忘れてしまった幸福だ/いまも記憶に残っているほんのすこしの幸福でなく/すでに忘れられてしまった幸福のおおきさが/わたしの生きてきた歳月をゆたかなものにしている」(「鍵」)