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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

4月3日付京都新聞文化欄・詩歌の本棚/新刊評

 高良留美子『女性・戦争・アジア―詩と会い、世界と出会う』(土曜美術社出版販売)が出た。社会への鋭敏な批評眼と繊細な詩的感受性を併せ持つ希有な詩人の、五十八年間の評論活動の集大成だ。敗戦時氏は中学一年生。当時戦争をすぐに忘れた大人たちの「明るさ」に絶望感を覚えたという。日本の戦後詩も、侵略や植民地の体験を「白紙還元(タブラ・ラーサ)」して成り立った。氏は問う。戦争の体験に対し今この国に生きる者は「存在の責任」がある。では詩人は新たな価値をどのように描き出せるか―死者の眼差しのように、胸に射し込む問いだと思う。
 神原芳之『青山記』(本多企画)の作者は、高良氏と一歳違い。八十五歳にしての第一詩集だが、齢がもたらす弛緩は一切ない。長い歳月の思索から結晶化した言葉で、ぴんと張りつめた詩行が紡がれる。部立ても絶妙。第一部は戦争、第二部は同体験を昇華し花を描く。生死と現在を突き合わせる第三部の「夢の島」から引きたい。「二〇一一年、第五福竜丸展示館にて」とある。
「枯れ果てた船がある/雨露をしのぐばかりの建屋のなかで/永遠のともづなに繋がれたまま//(略)/あのとき船と猟師たちがかぶった白い粉は/人類に告げ知らせる死の暗号であったのに/私たちはそれを読み違えて 死の苗を随所に植え/そこから育つ ぎらつく果実を/むさぼっていたのではなかったか//フクシマの「大事故」が人々の話題にのぼると/脇で聞いていたその船がふるえ始めた/船底の剥がれるような音がして/又七さんが急いで船べりの階段を駆け上がる/乗り移ろうとするが 船は青白い光線を放っていて/近づけない いつのまにか 建屋の屋根が/裂けて大きく開いている/「船が出るぞ」 誰かが叫んだ」 
 冨上芳秀『恥ずかしい建築』(詩遊社)は、地口、オノマトペ同音異義語を巧みに用い、日常を官能的に異化する。「明るく軽くナンセンス」でありつつ、「ちょっと言葉の根源的なものを揺すってみたい」。作者は、言葉と命は内奥で繋がっていると考える。そしてそこは「生臭い」のだ。
「長い蛇の青い穴/向こうの闇の赤いマッサージ店/大勢の客引きの整列/間口の狭い奥深い飲み屋/つるりと甘い白豚の尻/ごわごわの毛のイノシシの肉/透明な涙の山羊/ピンク色のシャチの舌/日曜日、あなたもゆるりと衣服を脱いで/横たわってくださいな/どんどんじゃんじゃんゆるくなる/蛇の皮むきの方程式/敷島の大和撫子の野性味/なんじゃもんじゃの野心の生臭さ/おい、まだ、終わっちゃいないのだよ」(「生臭い日曜日」全文)
 神尾和寿『アオキ』(編集工房ノア)は、見開きに収まる作品を集めた。ショートストーリー仕立てのアフォリズム詩のようだが、時に異界が侵入したり、場面と感情の距離が屈折する。だが詩は破綻せずガラスを入れ替えるように、世界は淡々と変化を遂げる。
「コンクリートで 固められた/プラットホームは困りました だって/佇むべき男がいないの/ですから/ひんぱんに電車は通過します/ときにミカンも売られるの/ですが/こんな/調子では/今すぐ溶け出しても/かまわないのではないでしょうか」(「佇まない」全文)
 有馬敲『新編ほら吹き将軍』(澪標)は四行の風刺詩を集めた。「将軍」は作者自身に重なるようだ。
「ほら吹き将軍が近くの公園を行く/転倒転落しないようにまわりに気をつけて/アメリカのトランプに負けてなるものか/と退院できる日を待っている」