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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

8月5日京都新聞朝刊 詩歌の本棚/新刊評

8月5日京都新聞朝刊 詩歌の本棚/新刊評

                                             河津聖恵

「え、これでも詩? という声が聞こえてきそうです。たしかに詩というより、ツブヤキと言ったほうがいいのかもしれません。戦争体験者が次第に消えていくのをよいことに、平和憲法がいよいよ根こそぎ奪われかけようとしている今、そのとき子どもだったものとして戦争の実相を少しでも遺しておきたいと、このようなものを編みました」―石川逸子『たった一度の物語』(花神社)の「あとがき」冒頭部分。ここにあるのは、今心ある詩人であれば誰しもが共有する危機感だろう。平和憲法が奪われ、言葉より戦車の力が優位となれば、時代はおのずと戦争へと流れていく。その時詩はどうなるのか。言葉の新たな力を求め続ける詩が、言葉を否定する戦争と共存できないことは、火を見るより明らかだ。
『たった一度の物語』の圧巻は、死者たちの「ツブヤキ」が、凄惨な光景や悲しみを語る第二部「アジア・太平洋戦争幻視片」。ここで語られる戦争の事実と死者たちの痛みは、作者が資料から再構成したものだが、詩という形式を借りることで不思議なリアリティを獲得している。一方第一部と第三部では、死者を想い続けてきた果てで、作者は現在の闇に目を凝らし、眼差しをひたすら未来へ投じようとする。
「彼女たちを偲んで/ひたすら バラを まぼろしのバラをなげる//ささやかな わたしの胸の奥の悲愁へは/象牙色の バラ//くるくると渦巻き/ゆうらりとながれ ながれ/川を下っていく あまたの幻のバラたち//いつか 海へ出ていくだろう/虹色のかたまりになりながら/これまで 聞いたことのない 歌を歌い/七つの海を ゆるゆると めぐっていくだろう」(「バラは海へ」)
  上手宰『香る日』(ジャンクション・ハーベスト)は、「詩人は世界を考え続ける存在」という位置で書かれている。人生と社会に関わるテーマを、繊細な比喩と鋭い思考の力によって、読む者の魂深くに届かせる。大震災の詩では大地を「距離を?がし落とす生き物」として捉え、原初的で本質的な光景を描くが、そこから大震災が人に突きつけたものが見えてくる。
「地面はいつから測られるようになったのか/大地はあの日/自分の肌に刻み込まれた無数の距離を/?がし落とそうと/はげしく身を震わせる巨大な生き物のようだった/そのあと大きな波を呼び寄せて/地表を洗い流させた/その夜は/とても美しい星空が広がったというが//もう測ったりはしないよ/朝の光の中で/誰かが答えた 泣きながら/きのうまで人が住んでいた地面は/どこまでも続く浅い海に変わり/ただ空を映していた/あの海の底で友だちが呼んでいるようだ/だから風がこんなに強いのだろう」(「列」)
 上野都『地を巡るもの』(コールサック社)の根底にあるのは、戦火と破滅を経験してなお蘇る「光」と「かたち」へのオマージュだ。京都に留学中に逮捕され、解放直前に絶命した詩人尹東柱の詩「たやすく書かれた詩」への「返歌」は、言葉の力を手放さないという決意で結ばれている。
「春には雲雀(ひばり)の歌を降らせる天のもとへ/あなたが還ってしまったあと/若い欅は六十回もの春を迎え/無骨な黒い大樹になったが/その背丈を越えて なお/たやすく書かれた詩のかなしみは/この人の世に張り付いたまま//悄然(しようぜん)とうなだれながら/それでも/わたしの言葉と/わたしの国で/かならず あなたに届けよう/最初のあなた/最後のあなた/そのどちらの手をも放さずにいて。」(「たやすく書かれた詩―時を結ぶ返し歌の」)