1980年代、「女性詩」というカテゴリーがあった。詩誌『ラ・メール』を中心に、多くの女性が平易で感覚的な言葉で、日常や身体に即した詩を書いた。私もブームに背中を押された一人だが、やがて「女性詩」という名称に違和感も生まれた。書き手の殆どが男性である戦後詩をなぜ「男性詩」と呼ばないのか、何も冠されない「詩」は存在しうるのか――。『ラ・メール』終刊後「女性詩」は取り立てて論じられなくなった。だが詩が生命との固有の関わりを回復させなければならない今、「女性詩」をその問題性と美質に改めて光を当てながら振り返ることは、大きな意味があるはずだ。
甘里君香『卵権』(幻戯書房)は「男性問題を中心テーマに据えた」詩集。「女性詩」が残した問題性に応答する内容だ。性の多様性の時代に作者があえて「性を二分法で捉える」のは、「生き物はすべからく女性性を内包し、そこからどれだけ男性に振れるのか」によって多様性がもたらされると考えるからだ。本詩集で女性とは「胎児のときから卵子を内包して生まれる未来に向かう存在」であり、縄文では両性が二分法に苦しめられず命そのものだった。だが今性は疎外され、男性の「暴力性」とシングルマザーの苦悩と子供たちの孤独は極まっている。作者は蘇生を求めて、195頁(本文)にもわたり「自由にたいして隙のない言葉」でうたい続ける。卵(ラン)たちは生命本来の根源的な自由を回復しようと、戦争や貧困をもたらす絶対的二分法にアナーキーなまでに立ち向かう。
「高層ビルを倒そう/アスファルトを剥がそう/すべての組織を壊そう/森からの水が汚れを落とし深呼吸する脳に土の匂いが刺さる/熱さに優る圧力で私たちを抱き留めている鉄の内惑星は/恒星に言葉を送り恒星から私たちの体に意志が贈られた/意志は卵細胞に染み込んで深く柔らかな真紅の渦に巻き込み/摑んだのは炎に包まれた恒星の欠片/そっと腕に抱き波打際に放すと/夥しい色彩の重なりが一瞬で星の裏側に広がる/プチンという音が響くと波間に笑顔が浮かび/笑顔は笑顔を分け与えるように生殖し/人の形の乾いた細胞は春風香る分子で満たされる/性の意味は掌に還りランの歓声が海から天に突き抜けた」(「ランの舟」)
にしもとめぐみ『女は秘密を歩き始めてしまう』(砂子屋書房)は、性の二分法を超えて生命の全体性を希求するという「女性詩」の美質を受け継ぐ。各詩の空間は「わたし」の「あなた」への愛に満たされながら、同時に「あなた」を超え遥か彼方をつねに希求する。扉に引用されたリルケの一節(「ただあなたが欲しい 鋪道の裂け目が/草の突き出ようとするのを感じるときそのみすぼらしい裂け目が/春全体を求めないでいることなどあるだろうか(後略)」)が本詩集の根底にある思いを代弁しているだろう。作者がたゆまず志向するものが、リルケが晩年に辿り着いた「世界内面空間」(生と死が流動する空間)と同じ境地であることは、以下の巻頭作からも窺い知ることが出来る。
「日々は/どのように続くのか/最期の時を知ることはできない//今日見つけた/羽化した蝉/どこまで飛んでいったのだろう//毎年聞こえる蝉しぐれも/同じようで違う/時 かけがえのない 今//植物は花を咲かせ 枯れる/愁うることはない/種を 芽を ただ生かす//死にゆくことは/課せられたこと/生死は巡る//命の在る事/命の美しさ/が燃えている」(「燃え尽きるその日まで」全文)