韓国・釜山市の詩誌『poempoem』59号に詩とエッセイを寄稿しました。
月見草
―― 「いまは 嘆きも 叫びも ささやきも/暗い碧の闇に/私のためには 花となれ!/咲くやうに にほふやうに/この世の花のあるやうに」(立原道造「ふるさとの夜に寄す」)
河津聖恵
月見草という名を灯す
夢の終わりの草はらで
沈黙が言葉を孕み始めるころ
私からほどけた私が
蝶の口吻のような幼い手で
月見草という名を灯す
まだ来ないあたらしい言葉の夜のために
嘆きと叫びとささやきが
闇の碧をにほふ花となるために
月見草という名を灯す
唇はかすかにふるえた
夢見る瞼に
失語の真昼が煌々と重みをかける
夜は本当はまだ来ていない
夜は奪われ続けている
昇る月は本当に月だったのか
言葉は何にあくがれていたか
希望や未来や愛や平穏―
あなたや私―
眠る言葉の生き物から
言葉は静かに溶け出していた
人のかたちをまたひとまわり小さく ぼんやり残しながら
月見草という名を灯す
野蒜の尖の生まれたての手で
彼の人にも灯るように
そしてさらに彼の人にもと
瞼から瞼へ
月色の薄い伝言を送る
人のかたちの沼から沼へ
不穏な漣を贈る
人の畔に月見草という名がすっと立つように
たとえ月が消えても
あくがれ止まない自分の姿がそこに映るように
この世はむしろ失語をのぞむ砂の地平だ
そこに花のように言葉があるように
私たちが人であるように
月見草という名を灯す
煌々と重みをかける今朝の光の下で
かすかに影絵のように抗い
月見草を灯す
エッセイ
二年半前、日本は東日本大震災に見舞われた。多くの詩人は、自然と原子力の巨大な暴力を前に言葉を失った。しかし正確にはそれ以前から言葉は力を失っていた。震災以後、その「失語の白い闇」が、加速度的に深まっているのだ。今、政治的な言葉が声高く「砂の地平」を拡げている。そこで言葉を失った人たちは、危うい言葉の抜け殻となってさまよい出している。 言葉を徹底的に奪おうとする怪物の呼び声に、誘われて。私は、そのような「失語の真昼」にひとすじの夜として、詩という花を開かせたい。人のような花、花のような人を、この世の片隅に立たせてみたい。