若冲をテーマとする連作詩集『綵歌』が、ふらんす堂より刊行されました。刊行日は2月8日、若冲の誕生日(旧暦)です。
本書に収めたのは、2006年から5年半をかけて書き継いだ30篇と、各篇について図版付きの解説、そして理解の補助としての略年譜です。詩集としては異例の構成と内容になっています。
総頁数は191頁で、通常の詩集の倍近くとなりますが、ソフトカバーで軽やかに仕上げられています。装丁もとても繊細です。こまかく煌めく紙のカバーと帯が、詩と解説をひとつのものとして包む美しい衣装のようです。
本体にも扉にも若冲の鶏がいます。
詩は、30篇のうち25篇は若冲の絵を、残り5篇は若冲の生涯の出来事などをモチーフとしています。目次は次のようです。
解説はこんな感じです。図版はモノクロで小さいですが、詩の参考とするには十分かと思います。
なぜ若冲について書き続けたのか。その動因については、本書の解説に語り尽くしていますが、あらためて言えばそれは、私自身にある欠如や衰弱が若冲を求めさせたからだと思います。つまり私の弱まろうとする生命が、若冲の獣たちの「神気」とも呼ばれる鮮やかな生命力を求めていた。そしてその生命力への感動は、詩によってオマージュとして表現されなければならなかったのだ、と。
30篇という数も、若冲の代表作である「動植綵絵」が30幅であることへの、オマージュを意図しています。もちろんタイトルの「綵」の字もそうです。
けれど若冲も、自分自身が生命を謳歌していたから、動植物の「神気」を描くことができたのでは恐らくないでしょう。むしろ死の不安や死の欲望に危うく晒されていたからこそ、全身で「神気」を求めた結果、それが絵に写し取られたのだと思います。そして言ってみれば、その若冲の「矛盾」こそが本書の底に潜むテーマです。
18世紀という時代の大きな転換期を迎えた京都という時空は、私が生きる21世紀という今の時空と、不思議に浸透し合うように思えます。私は歴史の知識に明るくはないですが、時空が浸透する不思議な感覚ならば、詩で生捕りに出来るのではないかと思いました。またそれは世紀を超えて、絵師と同じ不安と喜びを分かち合うことでもあった、と言えるでしょう。
多くの方に詩となった若冲に出会っていただきたいです。定価は2750円(税込)です。