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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2022年8月1日京都新聞朝刊「詩歌の本棚・新刊評」

 六月に行われた沖縄戦没者記念式典で、七歳の少女が自作の詩を朗読した。美術館で「沖縄戦の図」を見た時の衝撃を素直に綴ったものだが、私は胸を打たれた。「こわいよ 悲しいよ」という幼い声が、遥かな昔ガマで死んだ子供の声のようにも聞こえたのだ。そのことから今も考えさせられている。突きつめれば詩とは、何らかの方途で死者の声と共にあろうとする言葉ではないかと。
 なんどう照子『白と黒』(土曜美術社出版販売)は死者の声なき声を根源とする。この作者にとって死者は生き続け、どこかで生者を見つめている。詩の世界は死者の感情を想像することで押し広げられ、涙の澄明さを獲得している。作中で触れられるように、第一詩集を上梓した年に作者の親族が急逝した。それから九年間に編み上げたこの第二詩集は、悲しみの昇華の結実と言えよう。死者の声が命の深みからあふれる生の声となるまで、作者は詩を綴った。
「足下ばかり見ている/人生だった/疲れすぎて/夕方の空を/久しぶりに見上げると/そこには/風にちぎれる/雲と一緒に/空を泳ぐくじらが/遊んでいた/遠い山並みの向こうには/きっとあるのだろう/くじらが帰って行く森が/死んでいなくなった/わたしの知っている人たちも/そこへ/帰って行ったのだろうか/わたしもいつか/雲のくじらになって/あの山並みの向こうへと/帰って行くのだろうか/死んでしまった子供を/背中にのせたまま/いつまでも泳ぎ続ける/母くじらのように/せつない思いで/待ってくれている/人たちに/もう一度/会うために」(「くじらの森」全文)
 北原千代『よしろう、かつき、なみ、うらら、』(思潮社)には、聞こえない死者の歌声がみちる。言葉は浄化され繊細にふるえている。天使が生と死の世界を行き交うリルケの詩世界に近いものがある。作者は孤独の中で聴覚を研ぎ澄ませ、「人間の魂を求めている」言葉を聴取した。「タイトルの『よしろう、かつき、なみ、うらら、』は、架空の子どもたちにあてた名まえです。あるとき歌のように、くちびるに浮かんできました。(改行)娘や息子のような気もしますが、会うことのない百年後やさらにその先の子孫たちに思いを馳せてもいます。」(あとがき)。遥かな子孫とは死者と同じ光の存在だろう。一方「永遠のいのちへの希望」をつなぐような、亡き母をうたった連作も素晴らしい。
「エプロンにお母さんが入っている/産んで育ててくれたお母さんが今度はわたしのなかに/聞いていたとおりのことが起きた/エプロンからずぶぬれの黄いろい/潮辛い手が伸びてひっばたかれている/ほっべたが斜めである/ひっばたいたのはだれでしょう/夕方には臨月のようにエプロンが膨らんで/二十人ほど入っている/くらいかなしい目と口が/早く電灯つけて早く消して早くつけて/エプロンの胎内は真っ暗らしい/走ってあえぎながら走って/エプロンに入ったお母さんたちと列車の旅に出る/降り積もる季節の線路/窓の外に氷がはりつき/氷で表示された無人駅をいくつも通過する/いにしえの人びとの骨のうえを/鉄の車両が氷を割って骨を砕いて列島の肋骨のうえを/ひどく朱い夕焼けが/潮辛い雫を垂らしている/煮凝りのような目がエプロン越しに/地の果てを見ている/ターミナル駅でさいごに/たったひとりのお母さんの/ふしぎに若やいだ指がわたしに教えてくれた/エプロンはこうしてほどくのよ//お母さんを海に置いてきました」(「海のエプロン」全文)