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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2021年6月7日付京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 視覚は現代詩において重要な感覚だ。だが見えるものを日常的に見ることからも、また見えないものを観念的に見ようとすることからも詩は生まれない。そうではなく日常や観念によって見えなくされている世界のすがたを、言葉の力で陰画のように可視化する時詩は生まれる。反世界の魅力をたたえながら。
 山村由紀『呼』(草原詩社)はそのような世界の陰画を、日常や記憶の光景をなぞりながら、巧みに現出させる。詩集をみたすのは魂の現像室を思わせる暗い光と、事物たちの不穏な気配。情景は廃墟のようだが甘いノスタルジーはなく、死と接するはりつめた意識が伝わって来る。幻視のような視覚をとおし作者が「呼ぶ」のは、見えているのに見えないものたちだ。見捨てられた事物や死者、そして傷ついた生者たち。次に引用する「真夜中の向日葵」のすがたには、昼の光の下では見えない者たちの苦悩が、鮮やかに可視化されている。
「よなか。//夜のまんなかで//仰ぐものを失くして立ち尽くす/向日葵の群れ//陽をふくんだ黄色い花びらが宿す 炎のけはい/着火してはいけない 向日葵 よるの/やみにかくそうとして かくしきれない炎が/立ち昇ろうとするのを やみくもにゆれて/細い 太い 茎の脊髄をきしませて/やみくもにゆれて//消したい 消えたい/向日葵 真夜中の向日葵/花びらに囲われた無数の眼で/見てしまった 知りすぎてしまった//夜のなかで咲く向日葵/夜のなかで叫ぶ向日葵/声は天に地に垂直に届く//陽が火にくべられる/八月中の蜜蜂が/がっ、だっ、/目覚める間もなく/一気に燃える」(「秘密」全文)
 草野信子『持ちもの』(ジャンクション・ハーベスト)もまた「見えているのに見えないもの」に迫る。「持ちもの」とは言葉のこと。表題作で「とるものもとりあえず」赤ん坊を連れ難民となった母親は語る。「おさないいのちのほかは/何もかも残してきた故郷から/ことば だけは/持ってくることかできたのだ と気づく/荷物検査所でも まさぐられなかった/わたしの持ちもの」。作者は社会の片隅で痛みを抱える者たちに寄り添いながら、彼らの眼差しに自らの眼差しを重ね、見えて来るものを訥々と言葉にする。多用される平仮名は不思議な息
遣いのようだ。注目するのは一九四九年生まれの作者にとって、「ことば」の原点は学校で先生が音読してくれた日本国憲法にあること。それゆえ憲法を書きかえる「草案」という「やわらかなひびき」に、やがて猛然と生い茂って「持ちもの」を奪うことになる邪悪な「蔓草」のすがたを見るのだ。
「(日本国憲法改正草案/草案 ということばの/やわらかなひびき)//近づくと/草はら は/丈の高い草がしげっている/思いのほか 深い草叢だった//遠い国の戦闘かつづいている/秋の いちにち/その朝から わたしは/少しずつ 草叢を歩くことを日課として//ヤブガラシ のような/葛 のような/からみあう蔓草を たどり/ふしぎな葉脈を見つめた」
日課を終えると/その日 歩いた草叢について/わたしは 小さなメモを書く//草陰のうすぐらい水たまりについて/遠い国の戦闘/飛び立っていくカナリア そして/たとえば 第十三条について//また/ある日は/ひとが踏みしめた跡を見つけたよろこび/小さなけもの になって/わたしがその道を駆けたこと を//(草のうちに 刈らなければ)」(「草案」)

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