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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2022年6月20日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

「反詩」という言葉がある。かつて詩人の黒田喜夫が提示した概念で、詩に立ちはだかる、詩になりがたい悲惨な現実を意味する。黒田は詩は「反詩」と関わり、それを組み込むことで深く豊かになると主張した。今戦争を筆頭に今次々と押し寄せる「反詩」の濁流は、詩にどんな新たな力をもたらすのか。
 北村真『朝の耳』(ボートハウス)の約半分は、東日本大震災原発事故という「反詩」を組み込む。作者は隠された現実に耳を澄ませ言葉を紡ぎ、幼年期をテーマとする詩と同じ感覚で、「反詩」との関わりを試みた。恐らくボランティアで京都から訪れた被災地で目にしたもの、聞いたものが、長い時をかけて作者の詩を揺るがしたのだ。「指で歩く」では瓦礫の中の生活用品の名を一つ一つ悼むように記した後で、壊れた世界を治癒するように綴る。
「ここに たどり着いたものを いま ここにあるものを拾う。倒れているもの 壊れたもの 半分埋まっているものを拾う。あの場所から あの時間から あの人から はぐれたものを ひとつひとつ。途切れた対話や 張り付いた記憶を 指で 確かめながら。分けることのできないものを 分けることの痛みに 戸惑い 迷い ためらい。呑み込めないものを 呑み込めないまま 指で歩く。よもぎが 芽吹く 墓石の隅で 丸めた背を伸ばし また 歩き出す。ちいさなものの方へ 傾きながら歩く。なだらかな上り坂を 指で歩く。」
 表題作は原発事故、コロナ、戦争の全てを象徴する秀作だ。風のない夜、沈黙の中で底なし穴に投げ込まれ続ける黒い袋。中身は汚染土が遺体か。夢の中で音が一切聞こえないことが、不可視に進行する破局の途方もなさを表現する。
「いつから 穴はあいているのか。なぜ あいているのか。なんのために 袋を投げ入れているのか。時間の粒をこぼすように 背負った袋を 穴に投げ入れ続ける。穴に 黒い袋を隠すためなのか。あるいは 黒い袋で 穴を塞ぐためなのか。次々と 袋は 穴に吸い込まれてゆく。袋の音は 依然としてきこえない。だから 深い穴の底に 袋がたどりつく音を聞き逃すまいと けんめいにかたむく右耳を 穴の縁に残したまま 夢を抜き取る朝はいつも 左耳から起き上がる。」
 柴田三吉『ティダのしおり』(ジャンクション・ハーベスト)の作者は行動しつつ「詩と反詩」の関係を模索する。「私は辺野古の新基地建設強行に反対するため、島々の歴史と文化を学びつつ旅をしてきましたが、同時に、東日本大震災による原発事故、先の戦争がもたらした惨禍が残る地を歩いてきました。それらの根は一つです。本詩集はその小さな歩みと、思考のしおりを集めたものです」(あとがき)。作者の繊細な言葉が証すのは、悲惨な現実と言葉で向き合い続けることのかけがえのなさだ。
月桃の香る庭で線香花火/ゆう菜のオバァが冷えたスイカを/三角に切り分けてくれる//はぜる花火片手に/ゆう菜は甘い果肉の種を/プッととばす//オバァとわたしもまねて/珊瑚樹にねらいを定め/プップッととばす//そのとき不意に森から浮かび上がった怪鳥/十六夜の月を切り裂く回転翼/驚いた火玉がぽとりと落ちる//星の終わりのように/闇に沈んだのは/しずかに熟した時間だった//頬ふくらませ ゆう菜は/森に向かって種をププッととばす/オバァもプッととばす//乾いた速射音が返ってくるが/わたしたちの種は/魔物(マジムン)を祓うおまじないだ//火薬ではなく小さな息でとび/あした土の中ではぜ/緑の蔓をのばすだろう」(「はぜる種」全文)