10日、石巻復興ウォーキングに参加しました。
生涯忘れられない体験をしたと思います。
(といいつつも、当日はかなりの酷暑で、頭がぼけて記憶違いや脱落もきっとあるにちがいないのですが・・・。)
金子さんご夫婦の車で、仙台から石巻へ北上しました。
仙台市街を出ると、屋根にブルーシートがかかったり壊れたりした家々や
仮設住宅がフェンスに覗いたり、
車窓の風景に次第に震災被害の爪痕がみえてきました。
松島の海の近くで、橙色の袈裟を着て歩く、僧侶たちの一団を見ました。
少し北に行ったところでも、似たような僧が一人早足で歩いていました。
海沿いに鎮魂の祈りを捧げる旅をしていたのではないでしょうか。
すでに、車はひとがおのずから祈る災害の現場に入っていることを知らされました。
松島を少し見学し、被災地である東松島市、塩竃市を通過して、やがて石巻に着きました。約1時間半のドライブでした。
10時半のウォーキング出発前に、地震がありました。
駐車中の車の中でかなり大きな揺れに気づきました。
(けっこう大きな地震だったらしいですが、その時はたいしたことがないと感じていました。外で話していた人は気づかなかったそうです。)
まちなかステーションに集まったウォーキング参加者は30名位。
津波警報にも気をつけることにして
自身が被災者でもある若いリーダーの松村さんと、数名のボランティアに率いられて出発。
念のためコースを変更してということで、商店街から日和山へ向かいます。
今回のウォーキングの範囲は(日和山の他は)すべて浸水した地域とのことです。
商店街にも水が押し寄せてきて、損壊したお店も目につきました。
まだ内部に泥が残っている店も。
それでも、シャッターに鮮やかなアートが描かれていたり、
被災者が持ち寄った商品を売っているお店など
町の新たな未来へ向かって少しずつ復興の動きは始まっています。
しかし信号はまだ使えず、全国各地から応援にかけつけた警官による手信号でした。
それから日和山にのぼっていきました。
途中で警戒警報のアナウンスが頭上にゆっくり響きました。
(テレビできいた陸前高田のアナウンスを思い出しました。
トーンも速さも落ち着きもよく似ていたので。)
途中で準備体操もして、日和山山頂で警告解除を待ちついでに休憩。
それから住宅地へ入り、坂を上がり、
石巻市立女子高校、石巻高校と、避難所になった学校を過ぎていきました。
途中、下の方からの避難者と上からの避難者が情報交換し、
上と下のあまりの被害の違いに驚き合ったという交差点も通りました。
今も体育館が避難所である石巻小学校もよぎりました。
(ここが避難所になった当初、集団生活を敬遠して、近くの道路で車上生活をしていた人も多かったそうです。)
そしていよいよ瓦礫の拡がる南浜地区へ降りていきます。