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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

チャリティーコンサートでの朗読─眼の海、詩の海

今日は、奈良朝鮮初中級学校でのチャリティーコンサートでImage1333
朗読をしました。
震災の詩「影」です。
ひとつひとつの言葉を、瓦礫を踏むように、
ゆっくり低く読むことをこころがけました。

京都から行く途中、大和八木で降りるべきところを
かんちがいして大和西大寺で下車してしまい
急行を待つ間のホームで
「文学界」6月号の辺見庸連作「眼の海?わたしの死者たちに」を
読み始めました。

ひとつらなりの途切れぬ詩の時間を、眼がおのずと呑み始めました。

無数の箇所でハッとしました。

「だれも知らない/ハマレイ/の赤い花で掩い/死者たちをひらき/わたしの花を悄然ととじること」(「ささげる花」)。

これはまさにツェラン
「花を埋葬せよ。そしてその墓に人を供えよ」に対する
水の中からの応答ではないでしょうか。

これらの連作から受けた感銘については
またあらためて記します。

今日はホームや電車の中で
ツイッターに以下のようなつぶやきを投げこみました。

誰しもの水の中に沈められた死者たちの声なき声を、声なき声としてダイレクトに、途切れなく、言葉の肉感として象徴化すること。言葉自身の本能に、本当はすでに海化したこの世界をあなぐらせること。そろそろ電車が駅に着きます。

詩は内奥の孤独の結晶化という定義を補足。そのかっこたる空洞から、魂のひとつらなりの美しい内臓をひきだしつづけること、ではないか。乗り換え、やっと耳成、みみなしです。耳という部位、ブイの駅(ここで辺見さんの番組で、「部位」を「ブイ」と聞き間違えていた所があったような気がした)。

リハーサルを済ませる。これから始まるチャリティーイベントのタイトルは、「祈りと希望、心ひとつに…」。瓦礫を踏みしめて、大切な何かを探す人の影と音に思いを寄せた詩を、民族楽器ヘグムの伴奏で読みます!

イベント、無事終了。朗読には温かい拍手が。220名の人々に、言葉が浸透する手応えがあった。言葉には国境があるが、声には存在しない。人に届く言葉はすでに声なのだ。

今日は2月以来久しぶりに奈良の朝鮮学校で詩を読んだのですが、
朝鮮学校もまた奪われた母国語を取り戻すための存在。
パウル・ツェランとも時や国を超えて
詩の海で深くつながっている。