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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「魂と言葉の次元で問いかけつづける」(4月2日付「しんぶん赤旗」)

4月2日付「しんぶん赤旗」文化面にエッセイを書きました。長いですがぜひ読んで頂きたくアップします。これを書くきっかけになったのもやはりこのブログでした。ある方がブログを読んで推薦して下さったのです。なお掲載文では四章立てになっています。

 魂と言葉の次元で問いかけつづけるImage482
          ──朝鮮高級学校無償化除外に反対する詩人たち
                                                         河津聖恵

「人を傷つけることにためらいを覚えない粗暴な物言いが、この国に横行しようとしています。」3月7日に私たち関西の詩人有志が出した、朝鮮高級学校無償化除外案に反対する緊急アピールはこのように始まる。この国で詩人たちが社会問題に対し、有志という形でアピールを採択した例は、決して多くはない。私自身も詩人の立場から社会の問題に関わるとは、今まで思ってもみないことだった。
 今回のアピール案採択までの経緯は、以下のようである。まず2月26日、「高校無償化、朝鮮学校除外を容認」という見出しの新聞記事に私は大きなショックを受けた。教育とは程遠い立場の拉致担当相が、政治的な理由で待ったをかけたという。ちょうど2月7日に、在日の人々と日本の詩人との交流の試みとして、尹東柱(ユン・ドンジユ)(植民地時代に私の住む京都に留学した詩人)を偲ぶ会を行い、会の一環として翌8日に京都朝鮮中高級学校を見学させて頂き、日本と朝鮮の架け橋となろうと懸命に学ぶ生徒の姿に感銘を受けたばかりだった。それだけに他人事ではなく受けた衝撃を、自分のブログにありのまま綴ったところ、やはり同じ思いを抱いた詩人たちが次々コメントやメールを寄せてくれた。その後この問題に関する世間の動きに注意していたが、そこから声高に聞こえてきたのは、傷ついた生徒たちの痛みに寄り添う人間らしい言葉ではなく、むしろ傷をさらにえぐるかのような冷たく醜い言葉の方だった。さらに社会の公共性をリードするべき新聞の一部が、「無償化除外へ知恵を絞れ」などと非人間的で差別的な言辞で、ネットを中心とした不安定な「言論」の場を煽るかのようなふるまいを見せた。何だろうこれは、と信じられない気持でいたところ、3月3日、今度は大阪府知事トップダウンで「不法国家とは付き合わない」「暴力団と関係する企業に補助金を付けないのと同じ」などと暴言を吐いた。朝鮮学校の生徒たちは社会の底と頂きの双方から言葉の暴力を受けたことになった。想像できないその痛みを思うとき、私は、言葉の最先端を担う詩人としての責任を痛感するだけでなく、その二重の暴力を、詩人という存在への挑戦と受け止めざるをえなかった。なぜなら詩人とは、言葉の可能性を模索することで、人間の自由と尊厳を創出する者だとつよく思うからだ。事態は異常だったが、その異常さのお蔭で、社会派とはほど遠い作風の詩を書く自分が、何か行動せずにはいられなくなったのである。5日に以心伝心で神戸の詩人が電話をくれ、こう言って私の背中を押してくれた。「アピールを出しましょう、明後日。場所は手配しますから、心当たりの詩人に呼びかけて下さい。」
 7日に神戸の会場に集まったのは9名、賛同者は21名である。たしかに少ないが、日頃社会問題よりも言葉の芸術的側面に関心のある者たちに、複雑な歴史や政治が関わる問題に対するアピールを採択しようと呼びかけたのである。時間の短さも考えれば十分心強い数である。しかも日本の詩人、在日の詩人、朝鮮の詩や文学の翻訳者、歌人と、はからずも多彩な構成メンバーとなった。在日の詩人には、朝鮮学校での体験談を語ってもらったが、美談ばかりでない率直な内容は、問題を当事者側から想像するために役に立った。草案の検討を重ね、採択したアピール文は報道各社、文部科学省大阪府知事、および学校の所在地の首長あてに送られた。
 アピールからもうすぐ一ヶ月。今もなおこの問題は長期戦を強いられている。なぜこの社会は在日朝鮮人に対し、かつてかれらに押しつけた日本語で、無理解なバッシングを続けるのか。ひいては在日外国人という他者と、どうしていつまでも喜びと悲しみを分かち合えないのか。これからも私たち詩人は、魂と言葉の次元で問いかけていくつもりである。