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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

4月3日・NHK総合「無縁社会」(一)

4月3日土曜日に「無縁社会」という特集番組をNHK総合で見ました。
これまでニュース番組で放送された内容を中心として、昼と夜の二回にわたるかなり力のこもった特集でした。というよりも、つらく重すぎる内容でした。

無縁死者、つまり行旅死亡人(本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者)は、おととしの集計で3万2千人にのぼるそうです。
ほとんどが家族がいるのに引き取られない人。
かれらはごくあたりまえの生活を送ってきながら、退職や離婚や非正規雇用や派遣や地方から都会への流入といったような、家族や労働のあり方が原因で孤立化してしまい、
ひとつまたひとつと、人とのつながりを失って、一人孤独に死んでいった人々です。
東京湾には毎日のように水死体が上がり、家族に代わって遺品整理をする特殊清掃業者や遺骨を宅配で引き取る寺は急速にふえ、NPOに葬儀を依頼する人や共同墓地を望む人も増加している。
番組がひろいあげる無縁死者に関わる人々の声が心に残りました。
「みんなちゃんと一生を送ってきたのに、生まれたことで親を喜ばせたこともあるのに、その人の痕跡が何も残らない不条理はおかしい」
無縁死者たちのための寺の住職は呟きます。
「遺骨になっても休む場所もない。引き取り人のない遺骨はゴミですね」
特殊清掃業者は嘆息をつきます。
「心配なのは、ここにいて死んでいても、骨だけになっても、電話がかかっても、自分にはわからないこと」
元看護婦の生涯未婚の女性は不安をうちあけます。
もはや声も聴くことができず、遺品や遺骨しかない人は、しかしそれだけに周囲の人が語る言葉がその人を印象深く語るようです。「寂しそうな目をしていた」「故郷に帰りたかったのではないか」「あのおじちゃんがいてくれてよかった」

この社会の実像とはじつは、安心して老いることはおろか死ぬことさえも出来ない、「非社会」の姿です。
人とのつながりを維持するだけの余裕を精神的にも経済的にも失った人々は、
いわば存在しないも同じ。
社会から存在を声もなく排除されている人々が消えた闇がふくらんでいる恐ろしさを感じました。

番組のカメラワークは、是枝裕和監督の映画「誰も知らない」を思い出させました。親に捨てられた子ども達だけの孤立した生活を、それを誰も知らない東京という孤独な空間の光の下でうまく描きだしていた作品でした。