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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

4月3日・NHK総合「無縁社会」(二)

NHKの特集番組「無縁社会」から触発を受けたことをもう少し書きます。

ではこのとどめようもない無縁社会化をどうしたらいいのか、ということですが、
もうこの社会は、終身雇用や強い企業が当然だった高度成長期に戻ることはできません。
高度成長期に作られた画一的な人生観や家庭の理想像から逃れたくて、
日本人はある時から自由を選んだのですが、
しかしもはや今、自由というよりも不安定で危険な社会がただ加速化しつづけています。

この番組の中でホームレス支援のNPO代表の言葉が、胸につきささりました。

「私たちは今、家があるなし、経済的余裕のいかんにかかわらず、
ホームレス化している。
これまで私たちはあまり社会とは何かを考えたことはないかもしれない。
だがこういう事態になってみれば社会と何だったのか、家族とは何だったのか
それは哲学的な問題になるかもしれないが、そういう議論はすべきだと思う。
しかしそのときに、絆を失うことになった、あるいはそれに頼らなくなった原因として、いわゆる自己責任論の影響は大きかった、と考えねばならない。
根強い自己責任論を払拭あるいは乗り越えていくためには
社会が責任を持つのだという宣言が必要である。
絆さえ自己責任論で片付けられたらたまらない。
絆が社会だったのである。
やはり社会を取り戻さなくてはならない。
本当の意味でもう一度、社会が私たちの絆でありホームであってほしい。
赤の他人がちゃんと関わってくれる責任社会であってほしい。
そのためにはもう社会の側が絆の制度化を含めて責任を表明しなくてはならない。
助けてと言っていいのだということを合い言葉にできるように
私たち自身のメンタリティー、日常性を問うていかねばならない。
助けてと言うこと自体勇気が要ることではないか。
決して弱音なんかじゃない。
むしろ助けてと言えた人には偉いというべきだ。
このひとことが社会を変えていくのだから。」

助けて、と私は今誰かに言えるだろうか。
誰かに言われることがありうるのか。
そんな勇気と信頼を獲得しているだろうか──
今夜吊革につかまりながら、周囲の乗客の沈黙と轟音をどこか異様に感じつつ、
考えていました。