吉本隆明さんが亡くなられました。
一報をきいたとき
たしかに一つの時代の血が遙かに退く感覚がしました。
私はまだこの詩人の全貌を把握していないのですが
自分の感受性を信じて時代と向き合ったすぐれた詩人です。
一度だけ、吉本さんの詩集の授賞式でお姿を拝見したことがあります。
すでに車椅子に乗られていて、
小さな体からせいいっぱい出ない声をふりしぼるように
「自分が詩人と言われるなんて恥ずかしいことだ」
というようなことを何度も言われていたのを記憶します。
天井のシャンデリアの光で目がきらきらしていたのがとても印象的でした。
詩人は深い悲しみに包まれた珠玉の詩のことばを残しました。
その一字一字が光跡のように今きらめきだしています。
ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿った忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから ちひさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さやうなら
(「ちいさな群への挨拶」より)
この「ぼく」は、吉本氏自身だけでなく感受性で世界と向き合うすべての若い魂の持ち主を代弁するでしょう。
そして、
「詩は必要だ。詩にほんとうのことをかいたとて、世界は凍りはしないし。あるときは気づきさえしないが、しかしわたしはたしかにほんとのことを口にしたのだといえるから。そのとき、わたしのこころが詩によって充たされることはうたがいない。」(吉本隆明「詩とはなにか」)
この「ほんとのこと」とは、どんな集団の言説にも惑わされない真実。
たった一人としての自分が
感受性の触手でつかんだ時代への絶望であり
そこから生まれるかすかな星のような希望の予感でしょう。
また一人すぐれた詩人を失って闇が深まりました。
しかし私たちはそれぞれの直接性を信じ
さらに勢いをます「収奪者たち」の闇に立ち向かわなくてはならないのです。