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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

HP「詩と絵の対話」を更新しました。

HP「詩と絵の対話」を更新しました。

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今月のゲストはヤリタミサコさんです。視覚詩の実作者としての体験から大変興味深いエッセイを書いていただきました。これまで日本と世界の視覚詩の歴史と交流などはなかなか知られてこなかったですし、視覚詩の視点から詩の可能性を考える上でも重要な文章だと思います。(ちなみにヤリタさんとは、昨年1月にパリで行われたビジュアルポエトリーパリ展でご一緒し、エッセイ中にもあるように今年も同展が彼地で開かれ、私も作品と朗読で参加します)。

 

なお、今月から「関連論考」というコーナーも設けました。ここでは、私が新聞や雑誌に書いた「詩と絵の対話」のテーマと何らかの関連のある文章をアップしていきます。今回はヤリタさんも言及されている日本を代表する視覚詩人新国誠一の詩集についての論考、またあいちトリエンナーレの中止についての寄稿文も、アップしました。

 

どうぞご高覧下さい。

2019年9月16日付京都新聞「詩歌の本棚/新刊評」

  今の時代と一九三〇年代は似ていると言われる。技術や産業の発展、大衆消費社会、不況と格差の拡大、民主主義の機能不全、排他主義と戦争の足音―。最近シュルレアリスム関係の詩書の出版が相次ぐのも、偶然ではないだろう。一九三〇年代に興隆した日本のシュルレアリスムは、本家フランスと比べ非政治的で美学的だとされる。だがシュルレアリスムもまた危険思想として弾圧された。時代が酷似する今、当時の詩人たちの心情と言葉がリアルに迫る。
『一九三〇年代モダニズム詩集』(季村敏夫編、みずのわ出版)は、戦前神戸でシュルレアリスムの詩を書いた矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦のアンソロジー。いずれも詩集も遺さず経歴もよく分からない。季村氏は戦前の詩誌で三人の詩に出会った。とりわけ二人の女性詩人についての論は興味深い。当時女性がシュルレアリスムの詩を書くことが、どのような苦難と解放感をもたらしたのかが分かる。総動員体制下で孤独を貫いた矢向の詩は、「何かに、激しく促されるまま、ことばを刻む。官能の火と花の軌跡、奇跡といっていい行為の結晶」だ。だがある時から沈黙し詩界から姿を消す。一方隼橋は治安維持法違反で獄中にいる夫に差し入れ弁当を作っている最中急死した。「すさまじいものが/自分の本心であった」と赤裸々に記し、モダンな言葉の内に軍国主義への怒りを込めた。
 二人の女性詩人の沈黙あるいは死に暗い影を落とすのは、「神戸詩人事件」(一九四〇年)だ。シュルレアリスムに傾倒した神戸の文学青年が弾圧された事件であり、「京大俳句事件」も同時期に起こった。
『薔薇色のアパリシオン 富士原清一詩文集成』(京谷裕彰編、共和国)は、「戦前の日本シュルレアリスム運動の中心」にいて、シュルレアリスムの「受容から展開への要の時期に、極めて重要な仕事を遺した」幻の詩人の全貌を明かす。富士原もまた一冊の詩集も出さないまま徴兵され、三十六歳の若さで戦死した。時代の光と闇を詩への純粋な意志に映し出す言葉の、ガラスの美しさが胸を打つ。「風はすべての鳥を燃した/砂礫のあひだに錆びた草花は悶え/石炭は跳ねた/風それは発狂せる無数の手であった」(「成立」)
  平塚景堂『夜想の旅人』(編集工房ア)は、昨秋刊行の『白き風土のかたへに』よりも前に書かれた作品を収める。京都の禅僧でもある作者の独自のモダニズムあるいはシュルレアリスムは、風土を透明化し永遠へ吹きさらす。仏教哲学が詩の大胆な発想と展開をもたらしている。

「いま 窓の外では 霞(かすみ)にゆれて/ジャコメッティが歩いてゆく/物の誕生を/点滴のリズムに乗せて彫刻し/誕生こそが死の/懼(おそ)れであった時代を/今に呼び返している//ある日/曲がらざるものが/十億の瞬(まばた)きをする//その日/ぼくは 地下鉄の背後から忍び寄り/脳のいちばん細い繊毛(せんもう)を/学童たちの帽子に結(むす)んだ」(「虚空書簡」)
 左子真由美『RINKAKU(輪郭)』(竹林館)は、自身の中に見える詩の時空を、平易な言葉で抱き留めるように描き出す。作者の生と詩は、抱き抱かれる関係にある。掉尾を飾る詩「グラス」は象徴的だ。詩は「グラス」で詩人は「液体」か。それともそれは逆なのか。
「その形が/うつくしいのは/かろうじて薄い一枚の仕切りにより/なかにたたえられた液体を/しっかりと/抱き留めているからである/倒れることなく/壊れることなく/まして/役目を捨て去ることなど/決してなく/液体の重みを/支えているからである」

2019年8月21日付しんぶん赤旗「詩壇」

新国誠一詩集』(思潮社)が出た。新国は1960年代から70年代にかけて「視覚詩」を独自の方法論で切り拓いた詩人だ。当時国際的にも高い評価を得ていたが、死後は言及が少なくなっただけに、今回の上梓を喜びたい。
   視覚詩とは、文字の形や配置などで視覚性を強調する実験詩のこと。日本語では難しいと言われるが、新国はむしろ日本語ならではの可能性を見出した。大小の漢字をちりばめ、紙面を奥行きある空間に見せる詩。ひらがなとカタカナを混在させ、意味と音が生まれる現場を再現する詩。漢字の反復、類似、部首などの面白さからデザインされた詩―。
  新国のモチーフは多岐にわたるが、いくつかは当時の社会問題への鋭い意識をにじませる。「膿になった海」は「膿」が埋め尽くす紙面の中心に「海」の一字を置く。水俣病などの公害問題を視覚化したのだろう。「土」は、「土」を下から上へ、サイズを次第に小さくして配置する。全体は、十字架が無数に並ぶ戦場の墓地に見える。「反戦」では「反戦」の「反」がばらけ「又戦」になった後、やや大きく置かれた「又」で終わる、戦争の記憶が風化する社会への怒りか。
   新国は戦後詩の手法である隠喩の曖昧さを嫌う一方、言葉が写真を説明するような写真詩を批判し、「ことばがモノそのものとして自からうごきだす」視覚詩を目指した。視覚詩はやがて言葉のエネルギーで国家を超え、「空間文明時代の人間の宇宙的存在」に寄与すると考えた。
   新国は1977年に52歳で亡くなったが、その詩は古びるどころか、今鮮やかに発光する。 未来を信じる詩のエネルギーが、未来を忘れた時代の薄闇を刺し貫く。

2019年8月5日付京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

二十歳の原点』の作者高野悦子さんが亡くなって今年で半世紀。栃木の詩誌「序説」第26号所収のエッセイ高橋一男「京と(6)」を読んで気づいた。故
郷が栃木だったことも。同時代に青春を送った高橋氏は「永遠の憧れの対象」の残像を追い、京都の街を電動自転車で巡った。『二十歳の原点』は、自作詩や詩への言及が各所で目を惹く。詩が生死の間を揺らぐ彼女の救いだったのだとあらためて知る。詩とは何かを鋭く突きつけられるようだ。「ノート」を締めくくる詩の、深夜の湖に裸身を浮かべて眠る心象風景は、余りにも美しい。
 鎌田東二『夢通分娩』(土曜美術出販販売)は、昨年刊行の第一詩集『常世の時軸』(思潮社)に続く「神話詩集」第二弾。作者は『常世』で世界創生への祈りを込め、この世の果ての光景を描いたが、本詩集では生死を貫く深層意識での旅を「夢通」と名づけ、夢の展開によって常世のヴィジョンを次々獲得していく。神話には構造的な物語というイメージがあるが、ここでは空虚のただ中にさらされる者の苦悩と歓喜によって、壊れては生まれるヴィジョンが不連続に織りなされる。この詩集にうごめく闇は『二十歳の原点』の詩世界と、深く繋がるようでもある。  
「ひろがっているのは/どこまでも開放されつくしている天の穴と地の穴の/ふたつ//その二相を両眼としてきみは視る/みえないものを/みえるものをくいやぶって/ほとばしる稜線をかじる//分度器90度の悲嘆/沸騰する補助線//さわぐな/翁顔の笑顔の中に/とてつもない暗黒星雲/すべてを吸い込んでなおとどまることのない/負の永久音叉がかそけくとどく朝まだき//きみはいさぎよくひとりで逝った」(「猛霊」)
  竹ノ一人『哩(まいる)』(加里舎)は、表題(「マイル」)が表すように「距離」がテーマ。作者は「哩」の漢字と語感惹かれたという。「ひらがなの〝ま〟の遠い感じと、〝る〟という着地感。どこかに起点を置きたい気持ち、帰巣本能のようなものを、知らず自分のなかに持っていたのかもしれません。」また距離とは「引かれあう距離、反発する距離、交錯する距離、ただあるだけの距離」というように、それ自身の命を持つと作者は考える。遊び心のある仕掛けが風通しの良い詩集にしている。
「用心深い恋人のように/忍び寄り/ささやく葉ずれの旋律で/ひとを結わう//わずかなあげさげ/ゆりもどし/どこまでつれていかれたのやら/なにをわすれてきたのやら//足音がさり/千畳敷にひとり/天人たちは/やおら欄間へ戻っていく//旋律がほどけても/なお臨界のまま/おんたなごころのくぼみのなか/ハミングの漫遊がつづく」(「声明(しようみよう)―東本願寺御影堂」全文)
 秋川久紫『フラグメント 奇貨から群夢まで』(港の人)は、経済、会計、IT用語を「半ば強引に詩の構成要素の中に引き摺り込」み、音楽や美術や抒情と異種混合した「詩的断片」集。経済システムの「荒波に対する個の内面からの抵抗の姿勢」が、異物の混在を煌めくアフォリズムと独白へ昇華させた。
「【唐獅子】俺たちが鎮魂歌を詠うか否かは別として、死者の傍らに異界の獣さえ侍らせておけば化学変化が起きるだなんて、いくら何でも浅薄すぎるんじゃないのか?」
「【麒麟】オフィシャルに出来ないリスペクトを抱えて、焔の中を駆け続けること。月の光に恋情を含ませ、波濤の形状と相似をなすことを意図して踊り続けること。」

2019年7月29日付「しんぶん赤旗」文化面・「詩壇」

   かつて現代詩の舞台の多くは、都会としての都市だった。都市の現象や文化が、問題性も含めて現代性の象徴と目されたからだ。都市の孤独を享受する言葉が、輝いて見えた時代も確かにあった。だが今はどうか。
 二十年ぶりに詩活動を再開した山本育夫の、『田舎の寂しさ』(つなぐNPOほんほん堂)は、表題通り地方が舞台。作者の住む甲府での日常に身を寄せるように書かれた収録詩は、「毎日詩」と題しSNSで発表されたもの。風景の寂しさと人の温かさの混じりあう「田舎」の空気感を、巧みに詩に映り込ませている。
「家とひととが/くっついておたがいに/なじんでいた/人家ことごとく/死して/ひとも家も/どこかへ行ってしまった/するとそこには/ぽっかりと/空虚がすくってしまう/その空虚を若い人たちが/食べたいという/(ステキだ」(「リノベーション」全文)
 持ち主が亡くなった家の跡地にぽっかりと「空虚」が巣食う。若者たちがそこで何かを始めようとする。その動きを「空虚を食べる」と表現したのがいい「ステキだ」の結語がきらめく。言葉をちょっとひねり絶望を希望に変える転換に、技量の高さを感じる。
 現代美術家でもある山本は、1980年代言語の物質性を模索する詩で注目された。擬声語が跳ね回る言葉の反乱とも言える詩は、私の記憶にも鮮やかに刻まれているが、「田舎」の静かな空気感を伝える現在の詩は、より深く浸透する物質性がある。
 山本は現在、美術を介し地元の市町村をつなぐ活動に携わる。再開した個人誌『博物誌』に書き下ろした詩作品では、地方の空気とアートを紙面で見事に融合させた。
 地方とは、「空虚を食べる」力が生まれる言葉の最前線だ。新たな詩の舞台で新たな詩が始まる予感がする。

2019年6月21日しんぶん赤旗文化面「詩壇」

  与那覇恵子詩集『沖縄から見えるもの』(コールサック社)は第1詩集。作者は沖縄の大学で長年英語教育に携わりながら、詩作を続けてきた。またほぼ同時に論集『沖縄の怒り―政治的リテラシーを問う』(同)も上梓した。後者は琉球新報沖縄タイムスの論壇へ投稿を続けたおよそ十年間の結実。両書は退職という区切りにまとめられた。

「人が人間社会に生きる限り、書くことはメッセージを伝えるがためであると考える」と詩集のあとがきに書く与那覇氏の詩は、基地を背負わされた沖縄に今生きる者だけが感受しうる(あるいは感受せざるをえない)痛みを、空や海の美しさと共に切実に伝える。どの詩も「弱々しく口ごもる真実を/黙って耐える真実を/言の葉の枯れ葉の下から/拾いあげるために」書かれた。日常が次第に非日常となっていく不気味さ、変わらぬ本土の差別意識への怒りとその戦前回帰の不安、沖縄の弱者にしわ寄せされる貧困。その中で作者にとって詩とは、安倍政権の語る「アベノミクス」や「平和」の空々しさを切り裂く、言の葉の命の輝きだ。

  詩集にあふれる詩への思いと、論集に満ちる安倍政権への怒りは深く繋がる。その底から聞こえる声―。「今日も きりきりと 爪を立て/沖縄の空を アメリカの轟音が切り裂いていく//切り裂かれた空から/したたり落ちる/血//傷だらけの空を抱えて/立ちすくむ/わたしたち」「沖縄からは日本がよく見える/と 人は言う//水平線のかなた/あなたのいるそこから/今/どんな日本が 見えているのだろう?」(表題作)「日本」を照らし出す沖縄の詩性の真率な輝きに、注目したい。

2019年6月17日付京都新聞文化面「詩歌の本棚/新刊評」

  某誌の改元記念号に、二人の詩人が寄せた皇室賛美の文章が一部で話題になっている。前衛詩人が抒情的な言葉で礼賛したことに衝撃を受けた人は少なくない。戦前の抒情詩人の多くは、自身の抒情を対象化する批評力を持たなかったために、やがては戦争詩を書くに至った。よもやとは思う。だが戦前への反省から批評性に重きを置いて出直した戦後の詩の原点を、あらためて振り返りたい。
 田中淑恵『若三日月は耳朶のほころび』(東京四季出版)の作者は装丁家豆本作家としても知られるが、その出発は中学生の時。やはり手製本を作っていた立原道造の「人魚書房」に倣い、架空の豆本の版元も設立する。著者自装の瀟洒な本詩集には、立原道造の凜とした抒情と響き合う、端正で知的な抒情詩が並ぶ。表題の「若三日月」とは新月を意味する作者の造語。文学の素養に裏打ちされた古風な日本語が、新鮮な傷口のように現在の時空に抒情を切り出す。巻頭作「白鷺」は、作者の追憶が鴨川の光景にまつわらせる幻想の陰翳が魅力的だ。
「濡れた窓ガラスには鳥の落書/Wenn ich ware ein Vogel! /翅のむこうに鴨川の水が透けて見える/新聞の色刷頁はローランサン/年の初めのとよめきを 風が夕闇にのせてくる//立方に濃縮された空間で/ほそい潔癖はポキポキ折れる/ひるがえる炎の舌にさいなまれ/折れた潔癖は匂いも高き灰となる//それは折りたたまれたむかしの日/はじまりがもう終りであった/遠からず朽葉のように死にゆく恋が/あてどない流れに降りたそのはじめ//落書の鳥は翔び去った/窓を開けると 川の対岸(ほとり)に/白鷺がひっそりとたたずんでいた日」
(全文)
 船曳秀隆『光を食べてよと囁く螢烏賊』(朝日カルチャーセンター)の作者はは、大阪の教室で詩作を学んだ。本詩集は十九歳からの十年間教室で作った詩を編んだもの。作者の詩の原点は、祖母の「お手伝いさん」を見舞った十代に遡るという。親愛なる他者の喪失は作者に深刻な危機をもたらした。だが作者はやがて詩作の力自体に、内部から発光する「詩の光」を見出す。螢烏賊は敵に見つからないように夜間は光を消し、昼間は周囲の光と同じ明るさの光を出す。それでも昼に敵に見つかった場合は、一瞬眩しい光を出して逃げる―。表題作はそのような螢烏賊に、作者自身や周囲の人々を見立てて書かれた。そう言えば戦争期を生きた立原道造も、最期まで「詩の光」をランプとして掲げ、深まる闇に対峙した詩人だった。
「光を食べてよ/と 海に沈んだ/螢烏賊の僕は/云う//螢烏賊が水を跨(また)ぐ/海底の螢烏賊は/静かに光りはじめる//光が水で 薄暗くなる/それでも/僕の光は/周りの群へと/澄み切っていく//仰ぐと/僕より明るい 近くの螢烏賊/見下ろすと/僕より暗い 遠くの螢烏賊/群から/遠ざかりすぎないように//僕は/螢烏賊たちの光に/眼を開く/螢烏賊たちの光を追想しながら/光をくぐる」(冒頭部分)
 彦坂美喜子『子実体(しじつたい)日記』(思潮社)の作者は歌人でもある。本詩集には、日本の詩歌がジャンルを横断する可能性を、「拡散増殖し生成し続ける子実体」のように無限に問いかけたいという思いがみちる。
「ふわふわと胞子飛び散り発芽して/黴が/世界を覆っていく日/密やかな/接合の後の子実体 どこにも/だれにもみられないまま/ままは何世代にもわたって/同じ人間を/培養している 家の くらやみ」(「発芽して」冒頭部分)