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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

韓国映画「ポエトリー アグネスの詩」(イ・チャンドン監督)

韓国映画「ポエトリー  アグネスの詩」(イ・チャンドン監督)をみました。Jpg
素晴らしい映画でした。

詳しいストーリーは下記のURLをご参考にして下さい。
http://poetry-shi.jp/intro.html

貧しく孤独なヒロイン・ミジャが、一篇の詩を紡ごうとする。
そのひとすじの光の時間に、むしろ残酷に押し寄せてくる宿命。
美しい映像と見事な音響と演出。
世俗の中で独り、詩とは何か、とけなげに問う彼女の切ない横顔に
心を深く打たれました。
ミジャの「おしゃれ」な服装は
認知症の兆候というだけでなく、
彼女の魂が周囲や生活環境に染まらない透明な詩性に包まれていることを
きわだたせていました。

そう、この映画はミジャの切ない横顔を追いながらずっと
「詩とは何か」
「詩はこの世にいまだありうるものなのか」と問いかけていたのだと思います。
美しい自然の風景と醜い世俗のシーンを織り交ぜながら、
問いかけは、ラストシーンで見事な川の流れとなったのではないでしょうか。

詩の教室で生徒達は
それぞれの「人生で最も美しい時間」を語っていきます。
ミジャが語るのは、
幼い日、布団からのぞいた姉の顔に朝の光があたり、
やがて笑顔で自分を受け入れてくれた時のこと。
つまりその時
ミジャの存在を愛で包んでくれた姉の顔に当たっていた光こそ
彼女にとって失われた詩、
そして追い求めていく詩そのものなのです。

詩とはなんだろう──
私は美しい詩の瞬間を織り交ぜて
つらいストーリーや場面を重ねていくこの映画をみながら
ずっとそう考えていた気がします。

「詩が死にいく時代だ」
映画の中で一人の詩人がそう語っていましたが、
一方で韓国で詩は
日本とは比べものにならない位さかんだと言われます。
私もソウルの本屋に行って詩集コーナーをみたことがあります。
小説などよりも充実していて
多くの詩集が何十版も重ねていることに驚きました。
しかしそんな韓国でも詩は死につつある、というのです。

なぜ詩がさかんなのか、と知り合いの韓国の詩人にたずねたことがあります。
「今は、学校の国語の試験の2割が詩だからでしょう」
と言っていました。
つまり韓国でも経済成長や受験戦争が優先となり
詩は自発的にもとめるものではなくなってきているのです。

しかしイ監督は言います。
「それでも人々は詩を書き、読み続ける。
では、暗澹たる未来が前にあるとき、
詩を書くということにどういう意味があるのか。
私はそれを観客に問いかけたい。
実際私自身、
映画監督として自分に問いかけることでもある。
映画が死にいく今、
映画を撮るということにどういう意味があるのか、と。」

つまり不思議にも、詩とは
失われていくという喪失の痛みを感じるからこそ
最後の光芒のように輝く存在ではないでしょうか。
そしてその輝きはきっと
人が人であろうとするかぎり消えることはないはずです。