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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

3月4日付京都新聞朝刊・「詩歌の本棚」新刊評(河津聖恵)

  去る一月二十一日、新井豊美さんが亡くなった。イメージと肉体感覚が知的にせめぎ合う詩風が魅惑の、正統派の詩人。詩論家でもある。八〇年代にジャーナリズムを騒がせた「女性詩」を、歴史的な視座から冷静に振り返った『近代女性詩を読む』や『女性詩事情』からは、私も大いに刺激を受けた。また、奇しくも八日後には牟礼慶子さんが旅立たれた。『荒地』に参加、鮎川信夫に師事。自然を見つめる柔らかなまなざしは、戦後詩固有の文明批評をしのばせる。両氏の業績はこれからより一層真剣に評されるべきだ。女性の感受性によっていかに時代と向き合い、どのような詩の次元を拓くことが出来るか─。その方途を学び、受け継ぐために。
 山田英子『わたしの京都』(思潮社は、二〇〇九年に亡くなった詩人の遺稿集。町家に生まれ育った人の、伝統と文化の中で養われた感性が光る、エッセイと詩による古都へのオマージュである。だが単純な古都礼賛ではない。そこには、この町もまた安易な現代化に抗えず、精神の空洞化が進み続けることに対する鋭い批判の目がある。詩人は身をよじり呪詛するように、物の色や手触りや食感の深くから、忘れられていた過去を肉感的に蘇らそうとする。京都はその時、地霊のように恋人のように官能的に立ち現れる。
「茅をまたいで 左まわり/も一度またいで 右まわり/さらにまたいで 左まわり/あおあおと なわれた茅(ち)の輪をくぐって/夏越の祓/はらい落としたはずの けがれを/また身にそわせはじめている/わたしは みなづきを食べる/つるりとして とらえどころないほの甘さに/遠い血脈を意識しながら」(「わたしの京都『六月』」)
 名古きよえ『消しゴムのような夕日』(土曜美術社出版販売)の作者は、南丹市美山町に生まれた。戦後都会へ出、今は京都市内に住む。この詩集には3.11以後の作品も収められている。今詩人は三重の喪失感を抱える。京都の町中へ出たことによる生まれ故郷の喪失、都会における自然の喪失、そして原発事故による、生命全体の喪失。詩人は詩を綴ることで、人間と、自然あるいは命との関係を、再びいきづかせようとするのだ。奪われて初めて大切なものの存在に気づく、人間の愚かさに対する、詩人の慙愧の念は深い。
「あれは古いというのか/近代的でないと嗤うのか/海も陸も放射能に汚染されても/現在の暮らしの方が/よいというのか/わたしにはわからない//わたしたちは/宝物を無くした/心身ともに大切な/『安心』という環境を/自らの手で/自らを裏切った//慙愧に暮れる時間は長くてもいいだろう/それから一人一人が/行くべき道を行けばいい/歴史に 先人に教えられて/いのちをつないで」(「わたしたちはどこへ行くのか」)
  三浦千賀子『一つの始まり』(竹林館)もまた、3.11を「大きな一つの始まり」として胸に刻むために編まれた。この詩人において詩は、大震災の衝撃からだけでなく、それ以前にすでに止めどなく拡がっていた、貧困や分断や弱者切り捨てによる破壊の荒野から立ち上がろうとする、生の力そのものである。言葉が他者に届くことを信じる信念である。
「空気が変わった/そのあとも/反応してくれる人が続いた/言葉が届いていると感じた/それは新鮮な発見/言葉が届く時とは/相手の主体性を/信じられるかどうかなのだ/進めようとしていることの/見通しを語れるかどうかなのだと」(「署名運動」)