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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩にとって熊野とはなにか(六)

新宮から新鹿へ。                       071013_1525_3
熊野灘を右手に見て
獅子岩鬼ヶ城からさらに北へと車は走ります。
やがて私たちは国道311号線から山の方へ道を外れ
「新鹿小学校」を目指していきました。
中上さんの娘さんたちが当時通った小学校です。

「東京郊外の小学校から南カリフォルニアの公立小学校へ転校し、半年後に今度は父の郷里である熊野の自然に囲まれた、というよりは自然以外に何もないような新鹿町の小学校に移った。湾に注ぎ込む川にかかる橋の近くに父は家を借り、子犬と鶏を飼った。そこから小学校までは二十分ほどの距離だったが、最初は集団登校が嫌だった。登下校時にかぶらなくてはならない黄色いヘルメットが鬱陶しかったせいもある。」(中上紀「波の輝きよりも濃く」・『夢の船旅』)

この「小学校までは二十分ほどの距離」が
作家の「秘密基地」へのヒントです。
もちろん私はその時この文章をまだ読んでおらず
道は倉田さんに任せきりでした。
熊野の人は熊野のどこにでも辿り着けるはず、
と都合よく思っていたふしがあります。
ぼんやり景色を楽しんでいました。

山へ分け入るほどに
杉木立が密になっていきます。
車がよぎるにつれ
木のすきまを移っていく太陽の光は
気がつくとどこかしら黄色をおびています。
無限に続く木々と
無限につづく時間。
ふと不安になりました。
先ほどまでは
「木々の弦を光が弾いていくようだ」とか
「こんな山の中を作家はレゲエを流して車を走らせたのだろうか」とか
まるで詩人のように悠然としていましたが、
車が山へ山へと熊野を分け入っていくにつれて
不安がつめたく染み入ってきました。
カーナビもなく地図も持たず
ただ道路標識と太陽の方角だけで
二十八年前半年だけ作家が耕した土地を探していたのです。
「このトンネルの先かもしれない?・・・」
熊野人・倉田さんの磁石が熊野の力によって狂わせられていきます