孤独の ある獰猛なけだものが、
腹の中で絶え間なくその身を責めさいなむもののために、むしばまれ、
疲労にふるえながら 走り回っている、
死によってしか逃れられない飢えから逃れようとして。
そのけだものは 暗い森を横切って食物を探し、
夜がその影をひろげる時には何一つ見えず、
岩のくぼみに住んで 死ぬほどの寒気に打たれ、
成行きまかせにしか抱き合い交尾することもできず、
神々に苦しめられ その攻撃の下で泣き叫ぶ──
プロメテがいなかったら、人間よ、お前たちはこうなるだろう。
(シモーヌ・ヴェイユ「プロメテ」冒頭部分))
先日「シモーヌの手」でご紹介した
フランスの哲学者 シモーヌ・ヴェイユ(1909年 - 1943年)の詩です。
彼女が詩人でもあったことはあまり知られていません。
しかしこれまでに発見されているものとして、
九篇の詩を、
『シモーヌ・ヴェイユ詩集』(小海永二訳・青土社)で読むことができます。
この「プロメテ」は1937年の作品ですから、
27、8歳。
まさに東柱や李箱が亡くなった年齢で書いたことになります。
奇しくも「プロメテ」。
このギリシアの同じ神の名前を
東柱は「肝」で自身の名前のように叫んでいたのでした。
ここで描かれている「けだもの」は
今この社会の「岩のくぼみ」で
「まるで死の願望のように」
人間を冒涜している者たちのことではないでしょうか。