夜になっても
海風のような生温かな風が吹いています。
この京都の盆地の
路地から路地を軟らかくくるむように
風は吹いても吹いても
皮膚にいかほどの温度差ももたらさない。
ぬるいビールのように
ぬるい予感のように
坂をおりつづける風
坂を勝手にわいてくる無の手に
頬や髪を湯のようにふれられました。
空間に溶け込んでいた私の残りの時間が
ふとよるべなく裂け目をさらされるようで。
こんなゆるんだ闇を茄子紺色とよぶのでしょうか。
門扉を開けるとき
なぜひらめいたのか。
あの光景は
私たちすべての死の瞬間の光景であるはずだと。
今は映像からしか想像できない巨大な波の壁が
牙をむきだし
私を呑み込むその時の恐怖が、遙かにあるたしかな一瞬としてひらめき。
辺見庸氏の連作「眼の海─わたしの死者たちに」
を読み続けていたせいかもしれません。
私もまた家ではなく闇の海へ戻っていくのだと
風と一体になり
ふと受け入れるようだったのは。
真っ赤な
ヒマラヤトキワサンザシの実は、
わたしのなかに熟し
ある日、ひと粒が
ゆくりなく宇宙の海に落果した。
おのずからの暴力。
かすかなその漣で世界が絶えることもあること。
(「あの破壊は他からの暴力だろうか」)